場面:御斎会(ごさいえ)竟日(きょうじつ)に舞楽をするところ
場所:朝堂院の大極殿
時節:1月14日の夜
建物:①壇上積みの基壇 ②地覆石(じふくいし) ③葛石(かずらいし) ④束石(つかいし) ⑤嵌石(はめいし) ⑥切石の四半敷(しはんじき) ⑦石階(せっかい) ⑧廂の柱 ⑨母屋の柱 ⑩妻戸 ⑪白壁 ⑫簀子 ⑬高欄 ⑭斗栱(ときょう) ⑮軒廊(こんろう) ⑯幄舎(あくしゃ)
室礼他:Ⓐ松明(たいまつ) Ⓑ幔(まん) Ⓒ煙 Ⓓ稲束 Ⓔ香水(こうずい)の瓶 Ⓕ三脚の結び台 Ⓖ棚 Ⓗ五穀を盛った鉢 Ⓘ鐘 Ⓙ読師(どくじ)の高座 Ⓚ講師(こうじ)の高座 Ⓛ笏 Ⓜ胡床(こしょう) Ⓝ緌(おいかけ) Ⓞ太刀 Ⓟ茵(しとね) Ⓠ松明の束か Ⓡ松明の燃えカス
人物:[ア][ク]下官 [イ]舞人 [ウ]近衛府の武官 [エ]公卿 [オ]僧侶 [カ]童子(どうじ) [キ]大童子(だいどうじ)
はじめに 前回までは『源氏物語絵巻』を読み解いてきました。これからは平安京大内裏や内裏で行われた儀式や行事を、各種の絵巻から任意に選んで見ていくことにします。今回は『年中行事絵巻』巻七、朝堂院での「御斎会」竟日(終日)の様子を採り上げます。この絵巻には、かなり詳細にこの法会の様子が描かれていますが、ここで扱うのは、竟日場面のごく一部で、下部を割愛していることをお断りしておきます。
朝堂院とは 最初に、会場となる朝堂院について触れておきましょう。朝堂院は、朝賀や即位式などの大礼や、これから見ます御斎会などが行われた、大内裏の最も重要な正庁を言います。大内裏南中央に位置し、本来は朝に百官が集合して政務を執る場でした。当時の省庁は八つでしたので、八省院(はっしょういん)とも言いました。正門は応天門(おうてんもん)、正殿が北側に位置する、平安京最大の唐風建築の大極殿になります。
大極殿の構造 大極殿は絵巻に即して見ていきましょう。寝殿造とは違って、建物の基礎は①壇上積みという基壇になっています。絵巻でも②地覆石、③葛石、④束石、⑤嵌石などの側面と、切石を四十五度傾ける⑥四半敷にした床となる上面が見えます。基壇南面(前面)には、中央と東西それぞれの両端から三間目の位置に九級の⑦石階が三つあります。
この基壇の上に建つ建物の大きさはどうでしょうか。前面に⑧廂の柱が十二本ありますので、柱間は十一間になります。また、内部にも⑨母屋の柱が一部見えますので、廂が母屋の周囲にあると想定できますね。そうしますと母屋は桁行九間、梁行は二間が普通でしたので、九間四面の母屋に廂が四周についた大きさとなります。母屋と廂には段差はありません。南面(前面)には格子などはなく開放されていて、東西両側面に⑩妻戸を設けるほかは、⑪白壁でした。⑫簀子の端には、⑬高欄が廻っています。
屋根は緑釉(りょくゆう)瓦葺の入母屋造で、大棟(おおむね。屋根の頂部)両端に金色の鴟尾(しび)がおかれました。絵巻では柱上で軒を支える⑭斗栱が見えます。
大極殿の東西両脇には、それぞれ⑮軒廊が接して、他の建物に続いていました。なお、現在の京都の平安神宮には、当時の3分の2の大きさで再現された大極殿がありますので、実際に見てみてください。
御斎会とは 次に御斎会について確認しましょう。この法会は、1月8日から14日までの7日間、大極殿を中心として行われた、最も重要な国家的仏教行事でした。高僧たちを招き、昼に『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』を講読させ、夜には吉祥天(きっしょうてん)を本尊として犯した罪を懺悔する「吉祥天悔過(けか)」を行い、国家安泰と五穀豊穣を祈願しました。この法会に天皇は欠席することもありますが、東宮を始めとして公卿が参列し、殿上人やそれ以下の諸司の官人たちも運営に奉仕します。まさに国家的行事でした。
御斎会の室礼 それでは、描かれた御斎会の様子を見ていきましょう。この場面は、講読か悔過か、どちらになりますか。[ア]下官たちの持つのがⒶ松明で、途中で巻き止めたⒷ幔にそのⒸ煙が見えますので夜のことになり、吉祥天悔過の折になりますね。
前庭では四人の[イ]舞人による舞楽が奉納されていて、その両側に何かが置かれています。これは山城国(今の京都府)から貢納されたⒹ稲束になります。これで五穀豊穣祈願を意味したわけです。⑦石階の間にあるのは、Ⓔ香水の瓶を入れたⒻ三脚の結び台です。その奥の基壇上には、一双のⒼ棚を据え、Ⓗ五穀を盛った鉢を載せています。西から二間目にはⒾ鐘が吊るされて、儀式の進行に応じて鳴らされました。
母屋には、線描では分かりにくいのですが、二つの高座が見えます。東側が経題・経文を読みあげるⒿ読師の座、西側が経文を講義するⓀ講師の座になり、講読で使用されました。今は悔過の折ですので、僧侶は坐ってはいません。
舞楽 次は舞楽の様子です。[イ]舞人は鳥兜をかぶり、袍の右肩を脱いでいますので、皇帝の繁栄を寿ぐ「万歳楽(まんざいらく)」という曲を舞っていることになります。舞楽は制度的に左方の唐楽(とうがく。中国経由の楽舞)と、右方の高麗楽(こまがく。朝鮮半島経由の楽舞)に分けられ、演奏法や楽器編成、あるいは装束の色(唐楽は赤系統、高麗楽は青系統)なども違っていました。「万歳楽」は左方唐楽の曲になります。
舞人の手前に二つ並んでいるのは⑯幄舎で、東側が唐楽、西側が高麗楽の楽人が控えて音楽を奏しました。舞楽の様子は、竟日を飾る最終の曲ではないかともされています。
参集した人々 最後に触れなかった人々を見ておきましょう。舞人の両側で、Ⓛ笏を持ってⓂ胡床に坐っているのは、Ⓝ緌にⓄ太刀が見えますので[ウ]近衛府の武官でしょう。大極殿東側に束帯姿で座しているのは[エ]公卿たちです。右端の人の横に見える四角いものは、Ⓟ茵と思われます。西側の簀子には襟を立てた(僧綱襟。そうごうえり)[オ]僧侶たちが座しています。
さらに西の⑮軒廊にも老若の人々がいますが、貴族でも僧侶でもないようですね。頭部を見てください。冠物がなく、垂髪を束ねただけです。この姿は牛飼童にも見られますが、それとは違います。この人々は参列した僧侶に従う召使の[カ]童子や[キ]大童子になります。年をとっても童子の姿でいる者を大童子といいました。実は、この童子たちの姿が表情豊かで興味深いのですが、今回は事情があって、そこまで線描していません。
しかし、この人々と同様に面白いのが、西の⑦石階のところで何かを運んでいる[ク]下官を描いていることです。これは多分Ⓠ松明の束を運んでいるのでしょう。殿上には、Ⓡ松明の燃えカスも描かれています。『年中行事絵巻』は、荘厳な御斎会の様子を活写しながら、こうした人物を点描するところに味わいがあるのです。