絵巻で見る 平安時代の暮らし

第38回 『源氏物語』「東屋(二)」段の「三条の浮舟の家に訪れた薫」を読み解く

筆者:
2015年6月20日

場面:薫が浮舟の住む小家に訪れたところ
場所:三条にある、粗末な小家
時節:薫26歳の九月十二日の雨夜

人物:[ア]権大納言兼右大将の烏帽子直衣姿の薫 [イ]袿姿の浮舟(父・八宮、母・中将の君)、21歳前後 [ウ]袿姿の弁の尼 [エ]袿姿の浮舟の乳母か [オ][カ]袿姿の女房
建物:①簀子 ②羅文(らもん) ③透垣(すいがい)④上長押 ⑤・⑫・⑰下長押 ⑥・⑧遣戸 ⑦引き違い式障子 ⑨母屋の御簾(伊予簾) ⑩妻戸 ⑪妻戸の御簾(伊予簾) ⑬・⑱廂 ⑭母屋 ⑮野筋 ⑯紗の帷子(しゃのかたびら)の三尺几帳 ⑲高灯台 ⑳鴨居 押障子 高麗縁の畳 
室外:Ⓐ妻折傘(つまおれがさ) Ⓑ烏帽子 Ⓒ直衣 Ⓓ指貫 Ⓔ蝙蝠扇(かわほりおうぎ) Ⓕ薄 Ⓖ女郎花(おみなえし) Ⓗ紫苑(しおん)

絵巻の場面 この場面は、[ア]薫が浮舟の隠れ住んでいる三条の小家を訪ねたところを描いています。薫は、仲介者として弁の尼をあらかじめ遣わしていて、亡き大君の面影を宿す異母妹の浮舟を迎えたいとの意向を伝えさせていました。そして、浮舟を宇治に住まわせようとして自ら訪れてきたのです。浮舟側では突然の薫の訪問に驚き、どのように対応してよいのか困惑して、薫を外で待たせてしまいます。そこで薫は、早く室内に入れてもらいたい意を込めて歌を詠みます。絵巻では、このあたりのことが描かれています。

『源氏物語』の本文 それでは、この場面に相当する物語本文を確認しておきましょう。

 雨やや降りくれば、空はいと暗し。(略)「佐野のわたりに家もあらなくに」など口ずさびて、里びたる簀子の端つ方にゐたまへり。
  さしとむる葎(むぐら)や繁き東屋のあまりほどふる雨そそきかな
とうち払ひたまへる追風、いとかたはなるまで、東国(あづま)の里人も驚きぬべし。
【訳】 雨がだんだん強く降ってくるので、空は実に暗い。(略)薫は「佐野のわたりに家もあらなくに」なとど口ずさんで、田舎じみた簀子の端の方に坐っておられる。
  戸口を閉ざす葎が繁っているのか、東屋の軒先にひどく落ちる雨だれのもとで、あまりにも長く待たされることよ。
と雫をお払いになると香が風にのって、異様なまでに匂い漂い、東国の田舎人も驚いたに違いない。

薫が口ずさんだのは「苦しくも降り来る雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに」(万葉集)という歌の下句で、それによって、上一、二句の意を響かせます。歌にある「東屋」は、屋根を四方に葺き下した粗末な家のことで、東国育ちの浮舟やここの小家をよそえています。また、歌句の「東屋」「あまり(軒の意)」「雨そそき」は、催馬楽(さいばら)と呼ぶ歌謡の「東屋」という曲にある歌詞になります。この曲は男が戸を開けてといい、女が戸を開いて来なさいとする、男女のかけあいになっています。薫の心情に即していましょう。なお、画面では、中央下のⒶ妻折傘によって雨があったことを示しています。本文では、雨は降っていますが、薫を描くためにやんでいるようにしたのでしょう。

あやしき小家 物語では、上記本文以前に、浮舟のいる家を「あやしき小家」と語っていますので、まずはどのように粗末なのかを確認することにしましょう。これまで見てきた寝殿造とは違っている点が四ヵ所ほどありますので、探してみてください。一つ目は、①簀子です。高欄がありませんね。「鈴虫(一)」段の六条院念誦堂と「橋姫」段の宇治八宮邸にもありませんでしたが、それは御堂であり、山荘だからでした。ここは他の点とかかわって、粗末な造りとなりましょう。二つ目は、簀子の手前に、②羅文の付いた③透垣があることです。これも寝殿や対の屋にあまり設けません。三つ目は、④上長押と⑤下長押の間が格子ではなく⑥遣戸になっていることです。外部との隔ては格子が普通でした。また、室内の開いた⑦引き違い式障子の奥にも⑧遣戸が見えます。こちらは障子が本来でした。障子に比べて遣戸は、格が劣るのです。四つ目は、窠文(かもん)の付く縁取りのない簡素な伊予簾が使用されています。⑨「母屋の御簾」と、⑩妻戸に下されている⑪「妻戸の御簾」は、共に伊予簾になります。こうした建具などで「あやしき小家」であることを示しているのです。

室内の構造 さらに室内の様子を確認しましょう。画面左に⑫下長押の段差が見えますので、この右側が⑬廂、左側が一段高い⑭母屋になります。母屋には、⑮野筋の下がる、透き通って薄い⑯紗の帷子の三尺几帳が置かれています。几帳のもとにも⑰下長押が見え、その上部も⑱廂になります。この境にあるのが先に見た⑨伊予簾でした。こちらの廂には火のともる⑲高灯台が描かれて、夜の時間であることを示しています。この⑱廂は⑧遣戸で区切られ、⑦引き違い式障子の向こう側の一角は、⑩妻戸に面した「隅の間(妻戸の間)」になります。妻戸は片方だけ開いています。大和絵の描かれた⑦障子の⑳鴨居の上には、押障子の下端が見えます。母屋や廂には高麗縁の畳が敷かれていますね。

薫の姿勢 次に室外の[ア]薫の様子を見てみましょう。Ⓑ烏帽子にⒸ直衣姿で、Ⓓ指貫が①簀子から垂れるように坐っています。絵巻製作途中に、左手をつくように描き改められたようで、原画ではその部分が後に剥落した様子が分かります。この姿勢や、右手に所在なく持つⒺ蝙蝠扇などで、待ちくたびれた様子を表現しているのでしょう。庭先には、秋草のⒻ薄・Ⓖ女郎花・Ⓗ紫苑などが見え、これは薫の歌に詠まれた葎(雑草の総称)になると思われます。歌は、待たされる不満を言うことで、早く中に入れてほしいと言うわけでした。

浮舟の姿勢 今度は室内の人物たちが誰になるかを確認しましょう。⑭母屋にいるのが[イ]浮舟です。この後ろ姿は、「東屋(一)」段の中君に似ています。浮舟は、ひれ伏しているとする見方がありますが、どうでしょうか。うつむきかげんで、頭部を傾けた姿勢のようですので、薫の申し出に困惑した様子を表現しているのは確かでしょう。

女房たちの比定 さらに人物たちを考えます。薫に先行して来ていた弁の尼は、どの人でしょうか。近年では[エ]がそうだとされ、[ウ]は乳母と見られています。しかし、ここは「早蕨」段で描かれた鼻の突き出た面長の顔と同じ[ウ]が弁の尼になると思われます。ただ、髪がやや長めなのが気になりますが。弁の尼は、浮舟に薫と会うように勧めていることになります。そうしますと、[オ]が成り行きを案じる乳母になるでしょう。[ウ]としますと、他の女房の顔が引目鉤鼻なのに、乳母だけがこの容貌ではおかしくなります。また、[エ]は薫の歌を伝える女房になると思われます。開いた⑩妻戸で薫の歌を聞き、⑦障子を開けて伝えに来たことになります。この後、薫は室内に入り、浮舟と契ります。そして、翌朝、宇治に連れていくことになるのです。

画面の構図 最後に画面の構図を確認しましょう。画面右側は室外となり、①簀子や④上長押の線が斜めに配置されて安定感に欠ける構図となっています。薫の姿勢も、そっくりかえっているように見えますね。早く室内に入り、浮舟に逢いたいと思う薫の焦燥感を表しているのでしょう。画面左側の室内は、上部が水平、下部が斜めの構図になっています。その斜めの構図に浮舟が配されて、今後を思い悩む姿を暗示しているようです。

薫は上方から見下ろすように描かれていますが、庭の草花はそれより低い視点で捉えられています。また、左側の室内は、①簀子よりも低くなっているように見えます。さらに薫の大きさに比べて、室内の人物は小さくなっています。これは多様な視点でしか捉えられない光景を、一画面に構成するための無理が生じた構図と言えましょう。絵巻の画面はカメラで写されたような写実的な光景ではないわけでした。

今回で『源氏物語絵巻』は終わりです。さらに他の絵巻を最初の頃のように見ていくことになります。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回からは新たに、絵巻を通して、平安京の大内裏や内裏で行われた儀式・行事を見ていく新シリーズが始まります。ご一緒に、平安京の中を探検するように絵巻を見て参りましょう。どうぞお楽しみに。

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