ここはある大学のある先生の研究室。中世の研究をしているらしいこの先生のもとには、いつもフランス語の疑問をもつ学生たちが遊びにきます。今日は高校時代に世界史が大好きで大学ではフランス語を履修している学生がやってきたようですよ。
学生:先生、フランス語っていつから話されていたのですか?
先生:今残っている最も古いフランス語の文献は842年に書かれた『ストラスブールの宣誓』 Serments de Strasbourg[注1]という軍事・外交上のテクストなんだ。フランス語のテクストがこの時代に書かれていたのだからフランス語が話されていたのはそれ以前からになるね。でもいつから「フランス語」が話されたとなると、はっきり言えないところがあるんだ。
学生:なぜですか?
先生:フランス語っていうのは、そもそもは古代ローマ帝国領内で話された口語ラテン語がなまった言葉なんだよ。ところで君は世界史選択だったよね?西ローマ帝国が滅亡した年代って覚えている?
学生:476年にゲルマン民族の侵入で滅亡したんですよね。
先生:さすがだね。その後、西ローマ帝国領内で話された口語ラテン語が各地域でどんどん変化していった。それが、フランス語、イタリア語、スペイン語、カタルーニャ語、ルーマニア語といった言語に分かれていったんだ。これらの言語はみなラテン語を母親とする兄弟言語で、ロマンス語と呼ばれているよ。
学生:祖先がみな同じラテン語なので、イタリア語とスペイン語はフランス語と似ているのですね。それでラテン語はいつフランス語になったのですか?
先生:ラテン語が急にフランス語やイタリア語になったわけじゃない。言語の変化には長い時間が必要なんだ。今のフランスに相当する地域の住民はずっとラテン語を話しているつもりだったのだけれど、いつの間にかもとのラテン語とは相当違う言葉になっていたんだね。カトリック教会は西ローマ帝国滅亡後もラテン語を公用語としたので、教会でのミサや日々のお祈り、説教などはラテン語が使われ続けていたのだけど、民衆のレベルでは9世紀には聖職者がラテン語で説教しても理解できなくなっていたみたいだね。つまりこのころには民衆はラテン語とは異なる言語を話していたことになるんだ。
学生:聖職者はラテン語を話すことができたのですね?
先生:うん、そうだよ。ミサやお祈りだけでなく、教育もすべてラテン語で行われていたから、話すだけでなくラテン語の読み書きもできた。でも9世紀ごろには聖職者のラテン語力もかなりあやしくなっていたみたいだけどね。18世紀の終わりごろまではラテン語は聖職者のみならず、ヨーロッパの知識人の共通語だったし、大学の講義もラテン語で行われていたんだよ。カトリック教会では1960年代までミサや日々の祈りはラテン語で行われていた。
学生:へぇ~、ラテン語ってそんなに最近まで使われていたんですね。ところでラテン語はもともと古代ローマ帝国の言葉ですよね?フランスでラテン語はいつから話されていたのでしょうか?
先生:うん、それじゃあ古い時代から順番に説明していくことにしよう。ただ私はおなかが空いているんだ。この続きは昼ごはんを食べながら話すことにしよう。
(次回に続く)
ブックガイド:フランス語の歴史を知るために
- CERQUIGLINI (Bernard), La Naissance du français, Paris, PUF, coll. Que sais-je ?, 1991[三宅徳嘉・瀬戸直彦訳『フランス語の誕生』東京、白水社、1994年].(ストラスブールの宣誓について詳しい)
- NADEAU (Jean-Benoît) et BARLOW (Julie), The story of French, New York, St. Martin's Press, 2006. [立花英裕監修、中尾ゆかり訳『フランス語のはなし:もうひとつの国際共通語』、東京:大修館書店、2008年].(カナダのケベックから見たフランス語の歴史と多様性)
- WALTER (Henriette), Le Français dans tous les sens, Paris, Laffont, 1988, Paris, Seuil, 2008.(フランス語の変遷と多様性を歴史的観点からのみならず、地理的、階層的、社会的観点からも記述する優れた言語エッセイ。面白くて実にためになる。)
* * *
- http://expositions.bnf.fr/carolingiens/antho/05.htm(2019年3月4日最終確認)を参照。