前回、世界史好きでフランス語を勉強中の学生が、先生のところにフランス語の歴史について質問しにきました。フランス語のもとになるラテン語がどのような言語であったか教えてもらったところで、そろそろ昼食の時間……。今回は場所を変えて大学の食堂で、古代のローマ帝国の言語であるラテン語から「古フランス語」への変遷をたどっていきます。
先生:今、フランスと呼ばれている地域をローマ人は「ガリア」Galliaと呼んでいたのは知ってるよね。このガリアに紀元前7世紀ごろから住んでいたのはケルト系のガリア(ゴール)人だったんだ。
学生:ガリア人はどんな言語を話していたのですか?
先生:ガリア人はケルト系のガリア語を話していた。現代のアイルランド語やウェールズ語、ブルトン語もケルト系の言語だよ。けれども、ガリアがローマ帝国に征服された紀元前1世紀以降は、徐々にラテン語がガリアの地でも使用されるようになっていったんだ。ただラテン語化は急速に進んだわけではなく、ガリア全域でラテン語が使用されるようになったのは6世紀頃だと考えられている。
学生:口語ラテン語がフランス語やイタリア語、スペイン語に分かれていったということですが、なぜそのように地域ごとに大きく変化していったのでしょうか?
先生:口語ラテン語が変化し、分裂した過程や原因についてはよくわかっていないのだけど、分裂の決定的な契機は5世紀の西ローマ帝国の滅亡だと考えられている。そして少なくとも9世紀には旧西ローマ帝国の地域の言語はバラバラになっていたことが確認されているよ。フランス語についていうと北フランスを支配したフランク人の言葉がガリアで話されていたラテン語に大きな影響を与えたと考えらえているんだ。フランク人の支配の影響が弱かった南フランスでは、ラテン語はオック語というフランス語とは別の言語に変化していった。
学生:フランク人はどんな言語を話していたのですか?
先生:彼らが話していていたのはゲルマン系のフランク語だよ。今のドイツ語、オランダ語、英語などと同じ言語グループで、ラテン語を母胎とするロマンス語とは別の言語グループの言語になるね。
学生:北フランスはフランク人王朝の支配下にあったんですよね?それじゃ、なぜ北フランスの言葉はラテン語からゲルマン語に置き換わらなかったのでしょうか?
先生:フランク人は軍事的には優れていたけれど、ガリアではすでにラテン語に基づく文化・宗教が発達し、住民のあいだに深く浸透していたんだ。それで住民のあいだでゲルマン語化が進行しなかったのだと思う。ただフランク語は、北フランスで話されていたラテン語の発音面に大きな影響を与えたし、現代フランス語にはフランク語源の語彙が数百語残っているよ。フランスという国名自体、フランク人の国であるフランキアFranciaに由来するしね。
学生:フランク人の王朝のもとで変化していった口語ラテン語がフランス語のもとになるのですね?
先生:そう。そして9世紀にはその崩れたラテン語が書き言葉として記されるようになったというわけだ!
学生:そのフランス語は、今のフランス語とはだいぶ違いますか?
先生:かなり違うね。この初期のフランス語から14世紀ぐらいまでのフランス語は古フランス語ancien françaisと呼ばれていて、古フランス語の語彙や文法の知識がないと理解することは難しいだろう。古フランス語の大きな特徴は、名詞や形容詞に格変化が残っていることだね。同じ語でも、主語と呼びかけを示す主格・呼格とそれ以外の格(直接目的語など)では違う形だった。動詞の活用語尾も読まれていたし、主語人称代名詞は必ずしも明示されない。主語人称代名詞がなくても語尾変化で主語の人称がわかるからね。語順も現代語より自由だった。また、各地域で様々な方言に分かれていたんだ。
学生:方言は古フランス語だけでなく現代のフランス語にもありますよね。
先生:それはそうだけど、古フランス語が話されていた中世は封建制度の時代で各地域がそれぞれ独立した領主の領地だったので、方言の分化が進展したんだ。現代のような共通語はなかったしね。もっとも、聖職者や知識人のあいだでは、ラテン語が国や地域を越えた共通語として機能していたけど……。おっと、食堂が混んできたね。この続きは場所を変えてお茶でも飲みながら話すことにしよう。
(次回に続く)