前回述べたのは,「発話キャラクタ」や「役割語」という考えは,発話に対する我々の理解を深める上で有益だ,ということである。だが,「発話キャラクタ」や「役割語」が,発話の考察にかぎって有益というわけではない。これらは,文法を考える際にも役立つことがある。やはり前回と同様,断定の助動詞「だ」を例にとってみよう。(読者の混乱を防ぐため,今回はカギカッコ内でも文末に句点「。」を打つ。)
たとえば「冷えると心配です。」「寒いと心配です。」などと言うように,条件を表す接続助詞「と」は動詞句(「冷える」)や形容詞句(「寒い」)には直接付く。だが,「雪と心配です。」とは言わず「雪だと心配です。」と言うように,名詞句(「雪」)に付くには助動詞「だ」を介する必要がある。
これは幅広い発話キャラクタについて成り立つことで,これが主節の末尾ならそうはいかない。たとえば『上品』な『女』なら,主節末尾では「雪です。」「雪でございます。」とは言っても,「雪だ。」などとは口が裂けても言わないだろう。ところが,その『上品』な『女』が「あちらが雪だと心配ですわ。」のように,従属節「~と」の末尾ではあろうことか「雪だ」と言って澄ましている。『幼児』にしても,主節の末尾では「雪でしゅ。」「雪でちゅ。」とは言っても「雪だ。」などとは言わない。(言えば『幼児』卒業である。) その『幼児』が従属節「~と」の末尾では「雪だと心配でしゅ/でちゅ。」のように,「雪だ」と口走って平気な顔でいる。
このように,主節末尾の「だ」はそう多くの発話キャラクタが発することばではない。それに対して,従属節「~と」の末尾の「だ」は『上品』な『女』や『幼児』も含めた,多くの発話キャラクタのことばである。
これまでにも度々触れてきたことだが,役割語には「程度」の概念を持ち込むことができる。定義を次の(1)に示すように,そもそも役割語は,話し手の人物像つまり発話キャラクタの特定性と結びついている。
(1) ある特定の言葉づかい(語彙・語法・言い回し・イントネーション等)を聞くと特定の人物像(年齢,性別,職業,階層,時代,容姿・風貌,性格等)を思い浮かべることができるとき,あるいはある特定の人物像を提示されると,その人物がいかにも使用しそうな言葉づかいを思い浮かべることができるとき,その言葉づかいを「役割語」と呼ぶ。 [金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店, 2003.]
少数の特殊な発話キャラクタがはっきり思い浮かぶ場合から,発話キャラクタが広く漠然とぼやけている場合まで,発話キャラクタが特定される程度はさまざまだろう。だとすればそれに応じて,役割語にも,より役割語らしいものから,より役割語らしくないものという程度差を認めてよいだろう。
そうすると,上で見たことは,主節末尾の「だ」は役割語らしいが,従属節「~と」末尾の「だ」はさほど役割語らしくないということになる。これは,同じ助動詞「だ」でも,「だ」が置かれる文法的環境(主節の末尾か,従属節「~と」の末尾か)によって,役割語らしさの程度が異なり得る,ということである。このように,「或る語句がどのような発話キャラクタの役割語か」という問題は,語句だけではなく文法的環境も考慮して論じる必要がある。
従属節「~と」末尾の「だ」が主節末尾の「だ」ほど役割語らしくないということは,従属節「~と」の主節らしさが不十分であることの現れと言うこともできる。「従属節の主節らしさ」といえば,すでにさまざまなテストが知られている。その一つは「従属節が主題を持てるかどうか」というテストで,たとえば従属節「~ので」はこのテストにかけると「主節らしくない」という否定的な結果が出る。例を挙げれば「頭が痛いので帰ります。」が自然であるのに対して「頭は痛いので帰ります。」が不自然であるように,従属節「~ので」は頭を「~は」という主題の形で表せず,主節らしくないということである。従属節「~ので」と同様,従属節「~と」も,主題のテストの結果は否定的なものである。つまり「頭が痛いとしゃべれない。」が自然である一方で「頭は痛いとしゃべれない。」が不自然であるように,従属節「~と」は頭を「~は」という主題の形で表せるほど主節らしくない。役割語らしさも,こうした「従属節の主節らしさ」をはかるテストの一つとして使える可能性がある。
もっとも,役割語らしさという観点での従属節と主節の比較は,問題の役割語が現れる文法的環境が,従属節・主節という点を除けば,よく似通っていなければ意味がない。従属節「~と」末尾の「だ」と主節末尾の「だ」が比較できたのは,これらがたとえば「雪」「心配」のような名詞性の述語に付くという共通点を持っていればこその話である。
主節末尾で「だ」を発する発話キャラクタとしては,『女』や『幼児』は駄目だろうが,『女』や『幼児』以外ならかなり広範に考えられるだろう。これと比べると,「そこでだ,君をだ,敵のアジトにだ,潜り込ませてだ,~」というような文節末尾の助動詞「だ」は,発話キャラクタがより明確に思い浮かべられ(『年輩』の『男』),主節末尾の「だ」よりも役割語らしい。だが,だからといって「文節は主節よりも主節らしい」というというおかしな結論を導く必要は無い。文節末尾の「だ」はそもそも名詞性の述語ではなく連用修飾句(「そこで」「君を」「敵のアジトに」「潜り込ませて」)に付くもので,主節末尾の「だ」や従属節「~と」末尾の「だ」とは文法的環境が大きく異なっているからである。