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曲のエピソード
何気なく作った曲が思いがけず大ヒットする場合と、試行錯誤を経て練りに練った曲がようやく陽の目を見て大ヒットに結びつく場合がある。この「Take On Me」は後者で、a-haのファンの間では良く知られたエピソードだろうが、実はもともとは「Lesson One」なる別の曲が雛形だった(しかし、ところどころで歌詞に類似点がある)。また、これは多くが知るところだが、実写とアニメーションを巧みに組み合わせたプロモーション・ヴィデオ(PV)がMTV黎明期の恩恵に浴していた音楽ファンから熱烈に支持されたこともまた、大ヒットに結び付いた要因のひとつ。否、最大の要因だったと言ってもいいだろう。CG全盛時代の今からすれば、それほど驚愕に値する映像ではないだろうが、当時は驚きをもって人々に受け止められたのだった。なお、この曲のPVは、MTVヴィデオ・ミュージック・アウォードで6部門を受賞。最優秀賞こそ逃したものの、新人賞を始めとして6部門を制覇したことは、当時、同PVが如何に衝撃的で斬新だったかを物語っている。なお、PVの監督を務めたのは、マイケル・ジャクソンの「Billie Jean」(1983/全米No.1)を始めとして、数々のPVを手掛けているPV監督/映画監督のスティーヴ・バロン(Steve Barron)。彼は後に、一世を風靡した大人気アニメ映画『TEENAGE MUTANT NINJA TURTLES(邦題:ミュータント・タートルズ)』(1990)の監督を務めたことでも名声を博したが、もともとアニメ制作の素養があったものとみえる。「Take On Me」のPVは、その萌芽と受け止めることもできるのではないだろうか。
ノルウェイ出身のa-haは3人のメンバーから成る。グループの創設者でリード・ヴォーカルのモートン・ハルケット(Morten Harket)、キーボード担当のマグネ・フルホルメン(Magne Furuholmen)、ギター担当のポール・ワークター(Pal Waaktaar)。ここ日本でもアイドル的人気を博し、「Take On Me」のヒット時に、PVが洋楽専門番組で頻繁に流れていた。非英語圏出身の洋楽アーティストで過去に最も成功を収めたのは間違いなくABBA(スウェーデン出身)だが、a-haが登場してきた頃、ノルウェイ出身というその出自も珍しがられたものだ。ちなみに、同国出身者で初めて全米チャートを制覇したのはa-haである。ABBAの曲にしてもそうだが、非英語圏出身者であるがゆえの、ある種のぎこちなさが歌詞の行間に滲み出ており、そのことがかえって英語圏の人々の耳には新鮮に響くらしい。例えば、ドイツ出身のヘヴィ・メタ系バンドのギクシャクとした歌詞と発音が逆に英語圏の人々に面白がられてヒットする、といった事象も起きている。この「Take On Me」にも、非英語圏のアーティストならではの言い回しや単語の選出が随所にみられて興味深い。PVの斬新な作りもさることながら、全米と全英の両英語圏のチャートで大ヒットした理由は、そういうところにもあったのかも知れない。
一度見たら記憶に刷り込まれること必至のPVは、若い女性がカフェ(ダイナー、と言った方がいいかも……)でコーヒーを飲みながらコミック雑誌を読んでいると、そのコマに登場する劇画化されたリード・ヴォーカルのモートンが紙面上で彼女にウィンクをし、彼女が彼に誘われるがままに劇画の中に入って行ってしまう、という作りだった。筆者はこのPVをテレビ神奈川の洋楽番組でしょっちゅう目にした記憶がある。初めて見た時の衝撃は今も忘れ難く、「遂にこういう時代が来たか……」と、しばし呆然としてしまった。蛇足ながら、このPVでの共演をきっかけに、劇画の世界へと入り込んでしまう女性を演じたバンティ・ベイリー(Bunty Bailey)とモートンはしばらく付き合っていたそうである。確かに、なかなかお似合いのカップルだった。そんな裏話を知らなくても、PVでのふたりはまるで恋愛小説(この場合、恋愛漫画か)の主人公さながらで、あたかも近未来の恋人同士のような姿を彷彿とさせていたものである。MTV時代ならではの大ヒット曲には違いないが、曲が極上の出来栄えだったことも忘れてはならない。映像と音の相乗効果が最大限に活かされた大ヒット曲だった。
曲の要旨
ふたりでずっと喋ってばかりいるけれど、その最中に僕は君に大胆なことを言ってしまいそう。今日の君も、いつもと変わらず僕に対しての警戒心を解いてくれないんだね。それでも君を僕に振り向かせてみせるよ、いいだろ? 僕は見た通り半人前の男だけど、迷いながらもゆっくりと人生の素晴らしさを学んでいくんじゃないかな。君が口にする、僕を喜ばせるような言葉を額面通り受け止めてもいいの? 僕の気持ちを受け止めて、早く僕のことを受け容れてくれよ。そうしてくれないと、僕は君の前から姿を消してしまうからね。
1985年の主な出来事
アメリカ: | レーガン大統領が就任したばかりの旧ソヴィエト連邦のミハエル・ゴルバチョフ書記長とスイスのジュネーブで初対面を果たし、米ソ首脳会談が実現。 |
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日本: | 歴史的な円高を経て、いわゆる“バブル景気”の時代が到来。 |
世界: | イギリスのロンドンやバーミンガムなどの主な都市で大規模な暴動が発生。 |
1985年の主なヒット曲
Caress Whisper/ワム!
Don’t You (Forget About Me)/シンプル・マインズ
Heaven/ブライアン・アダムス
Everytime You Go Away/ポール・ヤング
Separate Lives/フィル・コリンズ&マリリン・マーティン
Take On Meのキーワード&フレーズ
(a) take on me/take me on
(b) in a day or two
(c) life
たった今、「Take On Me」のシングル盤を聴き終えたところである。素直な感想を言えば、とても約30年前の曲とは思えないほど今でも耳に新鮮だ。何とまあキャッチーなイントロだろう! そして変幻自在のリード・ヴォーカル。筆者の私物は、プロモ・オンリー(早い話が非売品)のアメリカ盤で、ピクチャー・スリーヴは数ページ綴りのブックレット形式になっており、嬉しいことに、PVのアニメ映像の部分がそこにプリントされてある。そして筆者は、たまにこの曲がどうしても聴きたくなる。イントロを聴いただけでPVの映像が瞬時にして脳裏にありありと浮かぶのは、最初にPVでこの曲を聴いた(観た)からだろう。MTVは、“先ずは映像ありき”の時代が到来したことを高らかに告げたのだ。本連載第20回で採り上げたマイケル・ジャクソン「Thriller」(1984/全米No.4)にしても、曲を耳で聴く以前にPVを先に観た、という人が大多数であろう。「Take On Me」も同様ではなかったか。同曲を映像で目にする前に耳で聴いた、という人は、筆者の周りには少ない。が、これを“音”だけで聴いてみても、非常に魅力的な楽曲であることが判る。デビュー当初のa-haはアイドル的人気を博していたが、リード・ヴォーカルのモートンの絶妙な節回し(地声→ファルセット)が切ない歌詞と相まって、耳と心を刺戟する。サビの部分の歌い出し部分で聞かれる低音ヴォイスも魅力的だ。良質の楽曲に良質のシンガーあり。これで歌が稚拙なら、ここまで大ヒットしていたかどうか甚だ疑わしい。ただ、アイドル・グループという括りだったためか、彼のヴォーカルが過小評価されているのが残念だ。レコードでもCDでもいい(そしてこの際、筆者が忌み嫌っているダウンロードでも構わない)、「Take On Me」の音源をお持ちの方々には、今一度、ヴォーカルを傾聴して頂きたいと思う。モートンが卓越したシンガーであるという筆者の意見に、必ずや頷首して頂けるはず。ヴォーカルに少しも無駄がない。そしてどこまでもしなやかで伸びやか。
(a)によって筆者が学んだのは、動詞+前置詞から成るイディオムの中に、目的語がそれらの間に挟まる場合がある、ということ。(a)の“take on ~”は「~を受け容れる、~を引き受ける」という意味で使われており(その他、同イディオムには複数の意味があるので要注意)、タイトルにもなっている“take on me”も“me”を間に挟んだ“take me on”も全く同じ意味である。“take me on”としたのは、その後に続くフレーズ“I’ll be gone”の“gone”と“on”を押韻させるためだろう。曲の主旨ではちょっと意訳してみたが、「僕のことを受け容れて」、つまり「僕の気持ちに応えてくれ」ということ。動詞+前置詞の間に目的語が挟まるパターンは“take on ~”以外にも幾つかあるが、筆者が咄嗟に思い浮かぶのは、過去に訳した歌詞に登場していた以下の言い回し。
♪Put on your best dress.(君の一張羅のドレスを身にまとってくれ)
♪Put your best dress on.(※意味は同じ)
非英語圏のアーティストが綴った英詞はぎこちない、と指摘した。そのぎこちなさが逆に新鮮で初々しいのが(b)のフレーズである。直訳すれば「1日かそこいらで」。意訳するなら「近いうちに、今すぐにでも」。これと似た言い回しに、“a joke or two(冗談のひとつやふたつ)”というのがある。双方に共通するのは、実際に「1~2日中に」、「1~2個の冗談」ということではなしに、「ほんの数日中に」、「冗談のひとつでも」といった、曖昧さ加減が含まれている点。英語は日本語と違ってyesとnoがハッキリした言語である、と言われているが、こうした“ボカした”言い回しも結構あるものだ。(b)を英語圏のアーティストが綴ったなら、恐らく“soon”となるだろう。それだとこの曲が途端につまらなくなってしまう。非英語圏のアーティストが綴る英詞の面白さは、こんなところにもあると思う。
(c)は、ふたつの異なる意味を持たせて2箇所に登場する。最初は誰もが良く知っている「人生、日々の生活」という意味で。そして2回目には、これまた英語圏のアーティストは余り使わない言い回しの「実物、本物」という意味で。曲の主旨で「額面通りに受け止めてもいいの?」と意訳した、2回目に登場する際の歌詞の意味は「本当なの?」ということを表しており、解り易い英語に書き換えると“Is it true …?”となる。同一の曲の中で“life”を異なる意味で使っている洋楽ナンバーは、かなり珍しいのでは…?
MTV元年から早や30年余り。もはやPVが存在しないシングル・カット曲など考えられない時代ではあるが、昨今の“金さえ掛ければいいってもんじゃない”的な、過剰でありながら印象に残らないPVを、筆者は進んで鑑賞したいとは思わない。楽曲にしてもPVにしても、大いなる使い捨ての時代に入った、と捉えるべきであろう。筆者は今でも「Take On Me」のPVを無性に観たくなる。そして曲を無性に聴きたくなる。歌い手と作り手の真摯な心意気が、そこここに滲み出ているからだ。