前日まで黄砂で前が見えないほどだった、という話が嘘のように甲府盆地は澄んで晴れていた。
海に面していない内陸県で、「ほうとう」が土産物屋や観光客相手の食堂に、看板や幟を並べている。ほうとうは、子供が物珍しいものながら食べてくれる。食偏の2字漢語「餺飥」(ハクタク)が変化したもので、ほうとうの包装などには異体字化しつつもかろうじて見られ、地域文字のようになっている。
ただ、看板やパッケージなどの大きく目に触れる字では、ひらがな表記ばかりであった。60歳くらいの地元の人は、子供のころ、白いご飯がなくて、ご飯があっても麦ばかり。うどんやほうとうをよく食べていたそうだ。カボチャが手に入れば、それにカボチャだけを入れて、小麦粉のほうとうを食べる。トウモロコシを粉にしたお焼きもそうだが、今はほとんど食べないとのこと。今のほうとうには肉などもたくさん入り、美味しくもなったらしい。山頂では、粗野な感じに味噌の塗られた団子も、子供たちはよく食べる。
近隣には、大門碑林公園がある。西安の碑林の複製とパンフレットで読み、時間の関係でタクシーで通り過ぎてしまった。印章資料館も少し気になる。六郷の印章は、100年の歴史を誇り、山梨県における生産量の70%、全国生産の50%を占める、とパンフレットにある。シャチハタは数字に含まれているのかどうか、など気にはなるが、そうすると、ハンコの文字には、ある種の地域文字性が存する可能性が出てくる。将棋の駒の天童も同様だ。さらに、文房四宝では、筆の広島、和紙の福井、墨の奈良、硯の宮城などは、間接的に字形の生産などに、微妙な関わりを考えることができそうだ。
サントリーのワイナリーが、「大垈」という地にあるらしい、とあるタクシー運転手。「おおぬた」と読む。2字目が山梨県特有の地域文字だ。さらに聞いてみると、初めは「ムを書いて、」と「牟田」と記憶が混ざっているようだったが、字をこちらから言うと、それと同じ土地で、「普通の地名」だという。県内の三珠町にも「垈」があり、歌舞伎文化資料館に向かう途中、上に少し登ればあったとのこと。車で引き返せば10分はかかるそうで残念だが、資料館の閉館時刻が早いために時間がなく仕方なく諦めた。
別のタクシー運転手も、そのワイナリーは双葉にあると言うのだが、ケータイからウェブで「おおぬた山梨」とうまく変換されないまま打つことで、何とか確認できていたので、寄ってもらうことにした。今度は、「あの地名は普通は読めない」とのこと。「ヌタ」とは何かまではご存じでなく、方言としてもすでに使われていないそうだ。調査は毎回が新鮮だ。全く同じことは繰り返されない。何かが変わってくる。状況は常に動いている。
道路脇の電柱の緑の地に白い字で「大垈」と表示されているのをちらっと見かけた。ワインの試飲でほろ酔いの目となってから、別の電柱の例を車内から写真に納めた。その地名が大きく書いてある、という公民館まで寄ってもらい、「大垈」の写真をさらに何枚か納めた。
この「垈」は「岱」とも書く。都内では東村山市で、町名としては「恩多」に変えられたが、「大岱(おんた)小学校」として残っている。後者は古くからある中国の漢字で泰山の別称であり、「ぬた」の意はない。仮借のように転用したものだろうか。下部が土の「垈」という文字は、山梨県内では市川三郷町など、あちこちで小字となっていて、30か所くらいに点在している。「ぬた」の「た」を「代」で示そうとした形声風の造字なのだろうか。「沼田」と同じもので、「怒田」などは当て字、四国にも造字があるが、そこでは「汢」と分かりやすい会意文字となっている。日本では食品の「ぬた」に「饅」という漢字を当てるが、この語(第21回)とも同源なのであろう。なお、「垈」は、中国、韓国、ベトナムにも、それぞれ別の意味によって使用された書証が見つかり、一つの字体に幾重にも衝突が起こりかねない、やや珍しい字だ。
一瞬目に入ったバス停にも「大垈」があったかもしれないが、もう走り去って帰途についた。ワイン工場でもらったパンフレットにも、その所在地として、そこだけがルビ付きで印刷されていた。