満員の市バスに揺られながら昇仙峡に着く。水晶、翡翠に信玄餅、祖父母が生前、たまに土産として買っていたのも、きっとこの辺りだったのだろう。明らかに以前、くぐった覚えのある土産物店に挟まれた入り口を抜け、少し進むと、仙娥滝(せんがたき)が美しく激しく落ちていた。
「仙娥」とは、中国で月に昇ったとされる女性、嫦娥(こうが 第29回)を指す。もしかしたら、ここは元より「センが滝」という語構成をもつ地だったものかもしれないと想像してみたりもする。こうしたものは、概して漢字表記に惑わされてはならない。「木賊(とくさ)峠」も、山賊が隠れているように旅行者には見えてきてしまうことがあったのだが、「長潭橋」(ながとろばし)、「昇仙峡」など、古人の漢学の知識が現れているようにも見える。前者は、現地では「長
これらは、江戸時代に、ここの山道を開拓した農民の長田(おさだ)円右衛門が神主や学者に依頼して付けてもらったという名前なのであろうか、あるいはそこに遊んだ漢学者が命名したものであろうか。その「仙娥滝」は、当地の看板やパンフレットなどでは、
仙が滝
仙が滝
仙ケ滝
仙ヶ滝
と、真ん中の1字が、ひらがなやカタカナ(実際には漢字「个」(箇:個)に由来)に置き換えられて、しばしば書かれていた。
「娥」という漢字は、「うつくしい(女性)」の意で、「みめよい」と読む。美女のいわゆる代名詞である「蛾眉」も「娥眉」と書かれることがあった。浄瑠璃の外題では「かおよ」とも読ませる。韓国からの留学生の名には、今でもしばしば見かける。
JISの第2水準に入っている字なのだが、あまり見慣れない上に、一発で変換されないソフトがあるために、このように使用が避けられているのであろうか。そのために仮名表記化し、次第に「霧ヶ峰」「八ヶ岳」「焼け野が原」などの「が」と同じ助詞だ、というように認識されていったものであろうか。
パンフレットでは、「甌穴」の「區」の部分が「区」と略字、いわゆる拡張新字体となってゴシック体で印刷されている。さすがは地元だ。甲州では、「州」が書きにくい割に頻用されるため、筆記経済が働き、「卅」と楷書で書くこともしばしばあるのは、九州や信州などと軌を一にする。古来の筆法が残っていると見ることができる。
景勝地では、岩手にある猊鼻渓(げいびけい 厳美渓とは別)も、漢籍の素養が背景にありそうだ。同じく達谷窟(たっこくのいわや)は、その地の姓では「たがや」と読むが、いずれの読みが古いのだろう。
観光地の名勝には、由来にこうした雰囲気を持ちながら、実は当て字であるものが散見される。香川県は小豆(しょうど)島にある渓谷の寒霞渓(かんかけい)も訪れたことがあるが、鉤掛山や神懸山が元であり、明治時代の初期に儒学者の藤沢南岳が当てた漢字が定着したものだそうだ。神奈川の金沢八景の「八景」も、もっともらしいが、関東で崩壊地形を表す方言「はけ」に基づくとの説が有力である。
昇仙峡に戻ると、「トーフ岩」もあるとのこと、今回は途中で引き返したので見ることは叶わなかったが、いかにも豆腐らしい形をしているそうだ。なぜ、漢字でなかったのだろう。帰りの電車から、たまたま「豆富小僧」という看板が駅に見えた。「トーフコゾーだ」、漢字がまだ数文字しか読めない小学1年生が指差していた。この映画が「豆腐小僧」としなかったのは、原作と差を出すためだろうか(きっと「人間・失格」のケースとは事情が異なるのだろう)。
なお、昇仙峡辺りではロープウェイにも乗ったが、「ロープウウェイ」と「ウ」を一つ余分に発音する人がある(私もそうだ)。「プ+ウェ」という音の連続と、子供のころに耳で覚えた単語であることと関連するのだろう。