ゴールデンウィーク、1日くらいは家族で外泊したい。去年は、当て字辞典の編纂が始まっていて、たった半日しか時間が作れず、キャッチボールやノックなど子供と公園で遊ぶことしかできなかった。近頃は祝日にも講義が入ることが増え、1週間前にやっと予定が固まって予約に動き出す。こういう非常の時期とはいえ、近場で癒やしてくれる温泉は埋まっているようで、メールであっさりと断られる。
ぎりぎりに1つだけ、たまたま甲府市内で予約が取れた。中央線で行ける。勝沼や石和など、子供の頃に祖父母に連れられ、学生になると祖母の見舞いに、そして近年は家族で、足を伸ばすことがある。中央道を高速バスで突き抜けるのも、懐かしい音楽が聞こえてきそうでロマンチックだが、新宿まで出るのも面倒に感じられる。
高尾や相模湖の先、横揺れが気になる路線だが、それには線路だか車体だか何かに理由があると聞き、納得した覚えがある。着けば昇仙峡も近い。子供の頃に目と心に焼き付いた藤城清治の影絵の美術館もあるとのこと、子供も喜んでくれそうだ。あずさ号、かいじ号も予約が叶う。
「万葉集」(虫麻呂の歌)にも登場する「甲斐」という国名は、もちろん当て字であるが、「かい(ひ)」は何を指したものだろう。山の間を意味する「峡(かひ)」つまり「交(か)ひ」では「ひ」がいわゆる上代特殊仮名遣いの甲類であり、「斐」で表された乙類とは合わない、とされてしまった。「斐」は「文」が意符で、美しい彩りがあるさまを表す。「揖斐」(いび)「斐伊」(ひい)など、古くに地名などの表記に好まれた字だ。そこから武田氏の「甲府」が生まれた。地元のパンフレットには、「来甲し」と自然に使っている。さすがに歴史を感じさせる地だ。
こうして、何らかの和語の発音、字音のうち、頭のk音だけが「甲府」に残されている。「生き甲斐」「やり甲斐」などの「甲斐」は、元の意味は「代(か)ひ」であり、この「甲斐」を当てるのは、甲類・乙類の差が不明確となり、さらに二次的に行われた当て字だ。
のどかさを漂わせる身延線で、里帰りしていた家族と会う。近場として偶然に選び、予約も受け付けてくれたこの宿は、太宰治の小説『美少女』の舞台なのだそうだ。すでに混浴ではないが、ゆかりの温泉で、作品を執筆した部屋も残っているとか。手元の全集にないので、ググる(Googleで検索する)と、青空文庫に全文が翻字されている。便利な世の中になった。短編だが、面白い表記もいくつも目に入る。
太宰の書き表す自意識のようなものはなかなか好きになれないが、共感する部分もある。旅情は偶然の出逢いの喜びを増幅させるものなのだろう。俄に関心が出たので、さらに検索すると研究者の論文に逢着し、その原文を写真版で読めた。さらに進めると、別のページには関係する新聞記事があったとのこと、大学のページからたぐっていくと、これも地方版なのに実物の写真まで付いていて、そのまま読むことができる。
何とも楽になった。明日、図書館まで足を運んで、そこからさらに時間を費やして書架に見に行こう、と決意する。当日には、体力を消耗させ、面倒な手続きを済ませてやっと掌中に、という煩わしさが省ける。しかし、代わりに失ったものはないだろうか。移動時間や待ち時間にあれこれ考える間(ま)は、決して無駄ばかりではなかった。少なくとも机の上の画面上で連鎖的にわかることで、紙をめくる途中でたまたま目に入った副産物や、所蔵施設からの帰途に歩きながらぼんやりとでも考え、あれこれと想像する一時、その風景をあやなす文字などは、確かになくなっている。
こういう時代がかった旅館や温泉街は、若い層には人気が落ちてきているのか、心なしかすいていた。大震災の後、ここのタクシーも客足が遠のいたそうで、うら寂しい。ただ、騒然とした宿舎は落ち着かないので、かえってこういうところの方が身も心も静まる。
館内の掲示には、一昔前の手書きできちんとデザインされた文字が目を引いた。会議室は「会室」とある。不特定の人々によく見て読んでもらうための、しかも後々まで残る物にも、しっかりと綺麗に略字をあえて書き込む、そういう時代の書証だ。
浴衣姿でその部屋の方へちょっと行ってみたら、そこに会議室はなく、おそらくは閉鎖されていた階段を上っていくと、そこに準備されていてかつては回転していた部屋なのだろう。中1の男児に振ってみたら、「会計室?」と読んだ。ガリ版刷りの中で育った、声符をこうしたカタカナに置き換えた略字は、近頃日常ではだいぶ見なくなった。