年賀状がない正月はどこかしら物足りなかった。書くのは年々辛くなってきたが、仕事の話ではない文面やほほえましい写真などには安らぐ心地がする。ある年、正月早々に出かけることがあって、暮れのうちに郵便局から届けてもらった時に、読んで不思議と興が醒めたのは、やはりまさにその瞬間のものだからなのだろう。
年末の前回に記した「」に共通するものとして、「様」という漢字の末画である右はらいにも、「〃」のような線が貫くことがある。これも、若年女性に顕著であるが、「」よりも若干年齢層が高いようにも思える。「」と同様に字面を飾ろうとする着想によるものであろう。この「様」に付される「〃」の部分も、装飾以上に明確な意味を込めたサインとして、「ハートマーク」で代行されることがある。
年賀状でも、宛名の印刷ソフトが普及し、個性の滲み出る手書きは少数派になってきた。我が家も、去年だったか、暮れの仕事の増加に追われてついに手書きを断念し、打ち込んでしまった。そうした機材を用いると、「様」の字体に、旧字体はともかく、伝統をもつ異体字や、個人の覚え間違いや書き間違いによる字体(いわゆる誤字)などは、もうほとんど現れなくなっている。
室町時代には、宛名の敬称に使われる「殿」の字体・書体や、漢字かひらがなかという文字体系の違いによる格付けが発達した。江戸時代に至ると、「樣」は「永ざま」とその字体を称して目上の人に用いる、そして「次さま」(檨 以下、さまはざまと濁ることもある)、「水さま」(様)、「美さま」「平さま」「蹲(つくばい)さま」は、などと崩し字を含めて細々と言いだす。文字列として読む際の発音は、いずれも「さま」であり、全く同じであるが、視覚による待遇表現が儒教的な身分制社会の中で発達した。
そこでは、仮名よりは漢字を、漢字でも崩し字よりは楷書体を、楷書体でも略字体よりは正字体をという、より本来性の高いもの、厳密なものを上位とみる意識のほかに、手間のかかるものをよしとする礼儀作法一般に通じる意識も読み取れよう。文字は丁寧に、大きく、そして他の文字よりも先に、上に書くほど敬意を表しうることなどにも、音声による表現と共通する部分を見出すことも可能であろう。
メールでは、「様」ではキツいといって、「さま」とひらがなに開かれることが多い。若年層の特に女子の間では、かねてより「サマ」、さらには「sama」などとも「かわいらしく」、「女の子っぽく」書かれることがあった。
年末年始の恒例行事となっていた年賀状ではあるが、手書きが年々減少するばかりか、「あけおめ」メールで済ます、そもそも何も出さないという風潮も強まってきた。それでも、量産される「様」の字の種々相からは、漢字の位相を感じ取ることがまだできないだろうか。
「〃」に戻ると、台湾では、「收○先生」(収の旧字体)の「收」の末画に「〃」が貫くような例もあるという。日本の「」からの影響と思われる。
また、日本では女性が多用する「ハートマーク」それ自体にも、右下の部分を貫いて「゛」が付けられるファンシーなものが丸文字全盛期に流行ったが、やはり「」と同趣なのではなかろうか。「様」も右下の「く」のような筆画が折れて、さらに左下にはらう書き方も一部で流行っている。そこにもやはり「゛」という形が貫くことがある。さらに、「!」やその籠字(「.」の部分や全体を膨らませた形で、白抜きというべきか)にも類似の例がある。
これらに共通するのは、文末に来ることがほとんどだという点である。「……様へ」と、「へ」と「様」が連続する時には、たいてい「様」のほうではなく「へ」に「〃」が移動して付される。数学の証明問題や、英文の手紙などでは、解答や文章の末尾に、ここで終わりだという意味を込めて、同様に「〃」のような印が記されることがある。「へ」で終わるということに不自然さが感じられることもあるようで、宛名の終わり(句点などの記号は明示的に付けにくかった)や、話を書き始める本文へ移る、スラッシュのような区切りといった機能をもつ記号が、その「へ」に応用された可能性も考えられる。
封じ目に記す「〆」は、×印とも認識されており、そのような形でも記される。最後に「しめる」という点で、「」との共通性を指摘する学生も多い。誰にも言わないでね、という意味をこめていたか、と述懐する女子の心理とも関わるだろうか。ともあれ、これを見たことがないという学生は一部の男子を除けばまれであり、それについての諸案、諸説を紹介してみよう。(次号で、「〃」の話はいったん完結)