漢字の現在

第54回 「サンタさんへ」:「へ」に点々?

筆者:
2009年12月24日

小学校高学年の男児が、平仮名の「へ」の右側の部分に「〃」を交差させて「」と書いていた。友達への手紙の宛名でのことだ。聞けば、10歳前後になるクラスの女子が手紙などでそう書いているからという。


親が教えたことがすべてであったころは、遥か昔になってしまった。子供ながらに、親や教員など大人だけでなく、友達や漫画などの影響を共有する自分の文字社会ともいうべきものを持っているようだ。この宛名に付く助詞「へ」の書き方は、私が小学生の頃にも見たことがある。懐かしさが出る気がするので、今でもたまに使うという女子学生もいる。

これは、教科書にも辞書にも新聞にも、載ることはまずない。いわゆる変体仮名として位置付けられたこともない。しかし、確かに世の中には存在しているのであって、実は性別や年齢によって使用に傾向性が存在する位相文字として、気になっている。そば屋などに貼ってある芸能人や作家などのサイン色紙にも、縦書きでも横書きでも、宛名の後に同様に記されていることがある。この場合には成人男性であっても用いるのは、筆記素材・内容を含めた場面というまた位相の一種が働いた結果であろう。

この形の平仮名(カタカナにもこの形があったのだろうか)は、いつごろから現れたものなのか。こういう深い意味が意識されない素朴な現象は、実はなかなか答えを見つけにくい。友達へ回す気軽な手紙などというものは、博物館にも通常は収蔵されないだろうし、即座に、あるいは何かの折に当事者によって処分されてしまうもののようだ。「へのへのもへじ」(「へへののもへの」などとも)のような落書きに用いられる文字絵のほうが、まだ江戸時代の記録がいくつか残っていて、その来歴がある程度まで辿れる。こうして、細かなことを交えつつ縷々ブログに書きつけているのも、実はそうした事柄を何とか記録に残しておきたいという気持ちがそうさせているのかもしれない。

人生の先輩の方々と向かい合うひと時も、大切な経験となる。その形の「へ」は、「相手に失礼になるので、使いません」という意見をいただいた。若年層の特に女子にも、そう聞いたという者がある一方で、渡す相手を見て、飾りとして親愛の情を込めることがあるそうだ。なるほど、ただの勢いで加えていたら、そう広まるものではないだろう。「〃」の部分を「ハートマーク」に換えて「」と書かれることもある。確かに、ハートのような記号的な感じで「」を使用していたという女子もいた。そうしたなかばデコレーションとしてのアイテムではなく、漫画で描かれる表情の影響なのか、頬が赤く照れている感じを描いていると感じる人も意外といて、遊びを超えて主に告白に用いる、キスマークに当たるとまで考えを及ぼす男子もいる。絵文字のハートマークも、男子には思いが倍加され、曲解される傾向があるので、要注意かもしれない。

アクセント、アクセサリーだけにワンポイントということなのか、1本だけで「ノ」とする人もある。何も考えずにただ流行にのっただけという人もいれば、相手に届ける、切手のような役割という意味を伝えたくて、という女子の声もある。その人のためだけに、という意味だったのかな、と改めて思いかえす人はやはり女子であった。友人としての感謝とか、特定のあなたに限定で送るという感じとか、敬意、丁寧さを表すとかいう男子もいた。

ただ、「〃」の部分に込められた思いは様々なようだ。小学生も高学年になるころから中学生になるころには、校内で怪しげな噂も飛び出す。「」は、好きな人、親密な人にではなく、縁を切りたいくらいに嫌いな人に対して書くものだ、と。私もそのくらいの歳のころ、クラスで聞いたことがある。ひねくれていたのか、そんなのは後から考えられた、意外性を求めたへそ曲がりによる嘘だ、というように思ったものだ。

しかし中には、宛名の「へ」に「〃」が2本どころか10本くらい書かれたものが送られてきて、落ち込んでしまったとトラウマのようになっている男子もいた。「〃」は同じという意味をもつ繰り返しの記号だと思う人は稀である。「へ」の「〃」の上部にハートマークを載せて、それが白抜きであれば好意、黒く塗りつぶしてあれば敵意を込めていたという女子もいる。たいへんな手間で、陰湿にも思えてくるが、それが矢印になれば、天使の矢のようなものをイメージして使う者も出てくる。

ともあれ、その他者への宛名に付けられる、呼びかけのような部分に対する、もっともらしい風評を契機に、キライな人への「絶交」の意や、もっとひどい、この世からいなくなってほしいという感情などは抱いていないとして、この字から卒業していく者もある。「DEAR ○○」など、古くささのない斬新で、洋風にオシャレをアピールできる表現も身に付いてきて、そちらへの修飾に執心するようになっていく。

つまり、「」は、プラスとマイナスと両方の正反対ともいえる意識が根底にありうるために、両極端の意味が併存してしまうものとなっているのである。

「へ」に加筆することで、手間をかけたぶん丁寧な気持ちが表しうる。ある女子小学生は、「へ」では大人っぽくってつまらない感じがして、必ずそう書いていた。やわらかくしたくて、何でもいいから加えたのではないか、ともいう。「拝啓」などの代わりの簡単な表現だと考える学生もいる。

「へ」が右下がりになるので、不幸せを願っているようで失礼だし、縁起が悪いので足したのでは、ともいうが、左側へでも下がることには差がない。右下がりは縁起が悪いので、ここでストップという感じでチョンチョンを入れるという女子もいる。文字霊(だま)信仰をもつ人はまだいて、縁起字(第51回第52回「豆富」参照)という意識は一部でなおも顕在のようだ。

「文字のかわいらしさ」や「イケてる」感は、時代時代で微妙に移ろうが、時代ごとにそれを生み出す「自分のかわいさ」、「かっこよさ」にもつながる。受け取る側も、一般的な手紙のそれと異なるものを見て気が惹かれ、チャーミングでもあるそれを共有することで、互いに愛着を強め、グループ内での仲間意識も同時に固められる。

一方、仲を断つ縁切りは、その通常の文字の線を、鋭くもしっかりと切断しようとするように見える形から生まれた寓意であり、そもそも風聞を信じこみやすい日本人のうちでも、人間関係の機微を味わい、残酷さをもつ思春期の少女が、その働きを足を掬うかのように意外で極端な方向へと、変質させたものであろう。使うと書かれた方が死んでしまうので不吉、縁起が悪いとまで説かれるようになる。都市伝説の発祥とかかわる点もありそうだ(以下、次回)。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究により、2007年度金田一京助博士記念賞に輝いた笹原宏之先生から、「漢字の現在」について写真などをまじえてご紹介いただきます。