地方では、学会が始まるかなり前に、宿の外に出ることをここのところ心掛けている。島根県の松江市では、出雲大社や松江城など名所は前に行ったようにも思え、その城は遠くから見られればもうそれで十分だった。
宍道湖畔のホテルを出て、バスに乗り、また歩いてみる。そうしたことを繰り返す中で、山陰の「陰」の書きやすい異体字など、すでに知られたものが今でも看板などに多少は残っていることに気づく。
珍しくほんの少しながら予習したことを活かしつつ、白「潟」天満宮(新潟で有名な「さんずいに写」を確認)、「鼕」(ドウ)伝承館、「淞」(ショウ)北台、「附」属中学に居並ぶ「付」属小学校など、気になるところを踏査してみる。ほかにもいろいろと特色ある字が目に入ってきた。
そして、会場の県民会館に向かう途中で、昔ながらの小さな豆腐屋を見掛けた。看板には店の名前に「豆腐」ではなく、「豆富」が使われている。松江では昭和38年(1963)の時点で、すでにそういう看板がやたらに目についたそうで、島根県豆富商工組合が豆腐のイメージをアップするために申し合わせた、“縁起字”ともいうべき文字を飾った当て字だとされている(斎賀秀夫『漢字と遊ぶ 現代漢字考現学』毎日新聞社 1978)。確かに、「腐敗」「腐る」の「腐」よりも、「富」のほうが高たんぱく、低カロリー、栄養価に富み、ヘルシーな感じさえしてくる。ダイエット食にもなりうるという向きもあるようだ。落語の「酢豆腐」ではないが、たしかに腐ればあれは大変なものにかわりはてる。何ごとにつけ、イメージに弱い日本人らしい。
こうした「腐」を忌避する意識は戦前から見られ、作家の泉鏡花は「豆府」と書き換えていたことも知られている。かつて鏡花肉筆の原稿用紙まで確認した学生もいた。「豆富」は、東京は台東区根岸の笹乃雪など、ほかの地域の会社や商店でも使っているところがあり(円満字二郎氏との会話の中でも聞いた覚えがある)、どのくらい古くからのことで、また他への影響はどの程度だったのか、気に掛かっている。
店名でのこの表記の使用実態は、明確な分布を呈する。ちょっとばかり手間がかかるが、以前にNTTの「タウンページ」のWEBサイトで、根気を保ちながら検索を続けたところ、やはり島根県だけが突出しており、特に松江市の店名では「豆富」の使用が「豆腐」を凌駕していた。地域表記が拡散した様子も隣県の状況からもうかがえて興味深いものがあった。全豆連という北海道から沖縄県までをカバーする全国組織において、島根県の先の団体は現在加わっていないようだが、中国山地を越えた岡山県と、同じ日本海側の富山県は、やはり「豆富商工組合」となっている。
島根県内のとうふ店の名では「豆富」が「豆腐」とほぼ同数あり、やはり実際にその地で使われていたことに感慨を覚えたが、忙しそうに立ち働く店のおじさんに、意味などについては尋ねそびれてしまった。
最終日、JALが撤退しないか心配になりそうな出雲空港に戻る前に、小雨交じりの街をまたデジカメを片手に散策してみた。商店街がなかなか見当たらないので、地元のスーパーに入ってみる。とうふのコーナーでは、「豆腐」に混じって「豆富」という表記が店名に見つかる。東京よりもやはり目立つようだ。
別のスーパーでは、「豆冨」と「富」が異体字となって大きく書かれている。これは、お隣の広島産だ。これを島根土産にしようかと、手に取ってみると意外と底が厚く、体積も大きく、そしてずっしりと重たい。弁当にもしづらく、家に着くまでに、暖房で傷むかもしれない。やはり土産は、教え子が教えてくれた「若草」や出雲そばにして、そこでは写真を撮らせてもらうにとどめた(次回に続く)。