漢字の現在

第52回 「腐」の字嫌いの拡大と他の漢字圏

筆者:
2009年11月26日

「豆腐」を「豆富」と表記すること(前回)については、気付いていない人が案外多い。東京でも「くさる」を「とむ」に替えた「豆富」や、それを異体字に換えた「豆冨」は、もちろんスーパーや商店で、ときどき見掛けるようになっている。特に居酒屋などチェーン店のメニューでは、それらが席巻している感がある。


ただ、薄暗い飲み屋で、酔った眼ではそういうものをじっくりと読み込むこともなかろう。注文を決める行為は、表記に込められた作家の繊細な意図まで読み取ろうとするような小説の熟読とは目的が大いに違うこともあって、そうした表記が見過ごされることが多いのだろう。気づいても、しゃれと流せるような場面でもあるためか、意外と印象に残っていないという人が多いのだ。

むろん酔眼ではなくとも、「見れども見えず」の状態となっているのは、人が文脈を眺めつつ、一目で文字列を大づかみに理解し(字の込み入り方はさほど劇的には変化していない)、一つの語として意味を取っているためであり、それ自体は悪いことでも何でもない。ただ、なまじ文字の違いに気が付いて、「豆富」は「豆腐」とは全く別の品だろうと思い込んでいる人もいるので、せっかくの注文の機会を逸してしまうなんてことも起こる。さすがに店を代表する看板に、大きく記す店名にまで用いようとは、島根県外ではあまりならないようだ。

近ごろまた政策上の理由から変化をしいられた国立国語研究所だが、その所員で松江出身の方に興味深いお話をうかがえた。氏は子供の頃、「トウフ」は「豆富」と書くと思い込んでいて、実際にそう書いていたという(本当のことだからこの連載に名前も書いて良いとも言ってくれた)。教科書で「豆腐」という表記を見た時、なぜかと思ったという。

市内で、まだパックに入ったとうふなど、なかった当時、とうふ屋までとうふを買いに行っていたという。水槽の中で掌の上に載せて切り、僅かに角を崩しながら水中から掬う巧みな情景が目に浮かぶ。そうした表記と接触する機会の多い地理的に特色のある生活環境のなせるわざだ。理解表記の使用表記への遷移は自然に起こる。母上もどうして「くさる」なんだと、その「腐」の字について語っていらしたという。

「那覇」「京都」などの訛語のような存在である文字について、今までいくつも触れてきたが、やはりこうした俚言のごとき文字の方が一般には気づかれやすいのかもしれない。

「豆腐」と「納豆」は、名前だけが入れ替わったものだという俗説も、この字面にある「腐」への着眼の結果であろう。中国では「腐」に、やわらかい、ぶよぶよした、といった字義が生じていたともいわれる。一般の辞書には、「くさる」といった意味しか掲げられておらず、もし腐敗の意味を含まない用法による名称だとしても、それは原義から派生した結果か、比喩的に転用された結果なのであろう。

中国では、司馬遷が受けたあの「腐刑」としてさえもこの字が用いられた。それも意味は別であったとも囁かれることがあるが、ともあれ日本における上記のような漢字へのこだわりが中国で「豆腐」に発揮されることはなさそうだ。四川料理の「麻婆豆腐」も、本場ではそのままで、「豆富」は流行らない。現代の中国の人々は、そうした文字よりも先に「トウフ dou4fu」という語のほうを会話の中で耳から覚えるわけである。その発音に漢字をかぶせる、という感じらしい。そのためもあって、概して漢字というものをまずは中国語の発音を表す文字として、とらえようとする傾向がある。日本人が目にずいぶんと頼り、字義や字の醸し出す雰囲気をかなり重視することと大きな違いがあるように感じられる。

沖縄料理の「豆腐食へん+羔(よう)」でも「富」に替えた新しい表記はあまり広まってはいない。また、韓国料理の「豆腐(두부 トゥブ)チゲ(찌개 鍋料理)」も、韓国内ではそもそもまずはハングル表記となっており、「ブ」(プ)とはどういう意味の語なのかという分析もなされなくなってきていることであろう。そして漢字で書くこと自体が稀となっているのだが、書こうとした時があっても同様だろう(なお、ベトナムでも「Đậu phụ」(ダウフ)として豆腐が食されている)。

それどころか、中国では発酵によって発せられるその特有の「におい」で有名な「臭豆腐」、水気と柔らかさが特徴の「豆腐脳」など、より直接的、即物的ともいえる語を表す漢字と組み合わせた名の食品が販売されている。それについて地元の人々に聞いてみると、そのネーミングにも漢字列にも何の違和感も感じられないのだそうだ。彼の国では概して明確な発想と表現が好まれており、それは良い悪いではなく、文化の根底にある部分のもつ差の一つの現れといえよう。

ただし、とうふではなく、ワインならばどうだろう。「貴腐ワイン」なんて記せば、「貴富ワイン」などとせずとも、前の字と後ろのカタカナ表記の語の効果が醸造のイメージとも重なり、マイナスイメージはすっかり打ち消され、逆に高級感すら感じ取れないだろうか。そう思ったら、「貴富ワイン」という表記も、語源を知ってか知らずか現れ始めている。「富貴」(フキ・フウキ・フッキ)を逆にしたようだ。

食品に過多に添加される防腐剤が問題になっているとも聞く。日本では、「腐」を避けることによる表記の変化は、まだまだ止まらないようだ。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究により、2007年度金田一京助博士記念賞に輝いた笹原宏之先生から、「漢字の現在」について写真などをまじえてご紹介いただきます。