歴史で謎解き!フランス語文法

第4回 定冠詞って、どうやってできたの?

2019年7月19日

ここはある大学のある先生の研究室。中世の研究をしているらしいこの先生のもとには、いつもフランス語の疑問をもつ学生たちが遊びにきます。今日は定冠詞が覚えるのに苦労している学生がやってきて、愚痴を言っています。

 

先生:じゃあ突然ですが、質問です。« le » とは、何を意味するでしょう?

 

学生:え、フランス語の定冠詞の男性単数形……じゃないですか?

 

先生:残念、答えは「イタリア語の定冠詞(女性複数形)」でした。確かにフランス語では定冠詞(男性単数形)で正解ですが、私は「フランス語の」とは言っていないよね。だから、フランス語の場合とイタリア語の場合、2パターンの答え方があるんだ。

 

学生:うわっ、ずるい手を使いますね!じゃあ、フランス語の定冠詞でも正解じゃないですか……

 

先生:そうだね、これは今日の「フランス語」の話に登場する定冠詞と関係があるんだ。まず、次の主語人称代名詞の表を見てみようか。

 

定冠詞の一覧

現代フランス語
  単数 複数
男性 le les
女性 la
現代イタリア語
  単数 複数
男性 il i
lo gli
女性 la le
ラテン語
冠詞なし

 

学生:ううん……、似ているような、似ていないような……

 

先生:フランス語とイタリア語は、ラテン語の延長線上にある言語だからね。この表で注目してほしいのは、ラテン語の部分。ラテン語には、フランス語やイタリア語とは大きく異なる点があるのがわかるかな?

 

学生:あっ、冠詞がない!?

 

先生:そうなんだ。多くの学習者の頭を悩ませる冠詞だけど、ラテン語には冠詞が存在しなかった。実は、ラテン語の指示代名詞 ille「あれ」が、指示形容詞「あの」として使用されたものがフランス語の定冠詞になったんだ。

 

ラテン語の指示形容詞「あの」
  男性 女性 中性
単数主格 ille illa illud
単数対格 illum illam illud
複数主格 illi illae illa
複数対格 illos illas illa

 

先生:それぞれから語頭の il が落ちて、現在のような定冠詞の形となったのだよ。あと、古フランス語の段階では、男性形の定冠詞に le / les のほか li という形もあったことを知っておくといいね。

 

学生:なるほど……この表でいうと、los, las 辺りが現在の les になるのでしょうか?

 

先生:そうそう。ちなみに、この指示形容詞が徐々に発達し、現在の用途として使われるようになっていくわけだけど、古フランス語と現代フランス語では、その用途は多少異なっていた。たとえば、古フランス語では具体的に特定できるものにのみ冠詞が使われ、抽象的なものや観念的なものに関しては冠詞は使われていなかったんだよ[注1]

 

学生:へぇー、それは興味深いですね。何にでも冠詞がついていたわけではなかったのですか!

 

先生:そうなんだ。17世紀のフランス語でも、「自然」nature、「愛」amour、「考え」pensée のような抽象名詞は、無冠詞であることが多いんだけどね。古フランス語の冠詞は、現代フランス語よりも使われる場面が限られていたんだよ。現代フランス語の成句でも、何世紀も前から使われている表現は無冠詞だよね。「貴族の身分は義務を課する」Noblesse obligeとか、「生活を改める」faire peau neuveとか[注2]

 

学生:では、「おなかがすいた」avoir faim とか、「注意する」faire attention などのフレーズで、名詞に冠詞がつかないのも、古いフランス語の名残なのでしょうか?

 

先生:そうだね。冠詞が今のように使われるようになったのは案外最近のことなんだよ。

 

学生:なるほど……定冠詞がラテン語の指示形容詞に由来していたなんて、全然知りませんでした。冠詞って奥が深いですね。

もう少し詳しく

ラテン語、古フランス語、現代フランス語にいたる指示形容詞~冠詞の変遷は、以下の通りである[注3]

ラテン語 古フランス語 現代フランス語
男性単数 主格 ille 主格 li le
対格 illum 被制格 lo, le
女性単数 主格 illa 主格 la la
対格 illam 被制格 la
男性複数 主格 illi 主格 li les
対格 illos 被制格 (los,) les
女性複数 主格 illae 主格 (las,) les
対格 illas 被制格 (las,) les

[注]

  1. MÉNARD, Philippe, Syntaxe de l’ancien français, Éditions Bière, Bordeaux, 1994, pp.26-27. 森本英夫『フランス語の社会学――フランス語史への誘い――』駿河台出版社, 1990, p.23.
  2. 島岡茂『フランス語統辞論』大学書林, 1999, p.136.
  3. 島岡(1999), pp.134-135.を参考に、著者が作成。

筆者プロフィール

フランス語教育 歴史文法派

有田豊、ヴェスィエール・ジョルジュ、片山幹生(五十音順)の3名。別々の分野の研究者である3人が、「歴史を知ればフランス語はもっと面白い」という共通の思いのもとに2017年に結成。語彙習得や文法理解を促すために、フランス語史や語源の知識を語学の授業に取り入れる方法について研究を進めている。

  • 有田豊(ありた・ゆたか)

大阪市立大学文学部、大阪市立大学大学院文学研究科(後期博士課程修了)を経て現在、立命館大学嘱託講師。専門:ヴァルド派についての史的・文献学的研究

  • ヴェスィエール ジョルジュ

パリ第4大学を経て現在、獨協大学講師。NHKラジオ講座『まいにちフランス語』出演(2018年4月~9月)。編著書に『仏検準1級・2級対応 クラウン フランス語単語 上級』(三省堂)がある。専門:フランス中世文学(抒情詩)

  • 片山幹生(かたやま・みきお)

早稲田大学第一文学部、早稲田大学大学院文学研究科(博士後期課程修了)、パリ第10大学(DEA取得)を経て現在、早稲田大学非常勤講師。専門:フランス中世文学、演劇研究

編集部から

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