しかし、1873年9月18日、ジェイ・クック商会の預金支払停止に端を発した株価の暴落は、アメリカ全土を恐慌の渦の中に叩きこみました。E・レミントン&サンズ社は、倒産こそしなかったものの、タイプライターの製造を始められる状態ではありませんでした。困ったのはショールズです。ショールズは、タイプライターの特許使用料が入ってくるのを見越して、公共事業委員会の幹事職を辞職していました。しばらくは貯えがあるものの、このままではたちまち困窮してしまいます。
ショールズは、ミルウォーキー・デイリー・ニュース紙の編集に、職を得ました。新聞編集者として働きながら、E・レミントン&サンズ社がタイプライターの製造を始めるのを、じっと待ったのです。そして1874年5月、「Sholes & Glidden Type-Writer」の最初の1台が、ショールズのもとに届きました。時にショールズ55歳。7年に渡る開発を経て、やっとタイプライターは商品化されることになったのです。ただし、E・レミントン&サンズ社は、あくまでタイプライターの製造を請け負っただけでした。タイプライターの販売や宣伝は、ショールズとデンスモアとヨストに任されていました。
E・レミントン&サンズ社から届いた「Sholes & Glidden Type-Writer」は、外見がまるで足踏み式のミシンでした。構造自体はショールズのタイプライターを踏襲していて、1文字打つたびにプラテンが1文字分ずつ左に移動する仕掛けでした。ただし、ショールズのタイプライターとは違い、フットペダルが追加されていて、フットペダルを踏み込むことでプラテンが右端に移動する仕掛けになっていました。印字は原稿用紙の下側におこなわれるので、打っている途中で時々プラテンを持ち上げて、文章に間違いがないかどうかチェックする必要がありました。印字可能な文字は、大文字のA~Z、数字の2~9と、ピリオド、コンマ、コロン、セミコロン、疑問符、ハイフン、アポストロフィ、アンパサンド、アンダーラインと「┆」でした。数字の1は大文字のIで、数字の0は大文字のOで、それぞれ代用しました。「┆」は、電文を受信する際の「段落と段落の区切り」に用いられました。
ただ、E・レミントン&サンズ社から届いたタイプライターには、ブランド名の「Sholes & Glidden Type-Writer」が、どこにも記されていませんでした。その結果、ヨストが、このタイプライターを、「Type-Writer」という名前で宣伝・販売しはじめてしまったのです。発明者のショールズとグリデンは、全く無視された形となってしまったのです。