タイプライターに魅せられた男たち・第8回

クリストファー・レイサム・ショールズ(8)

筆者:
2011年10月13日

1876年4月、ショールズは、ミルウォーキー市の公共事業委員会に復職しました。「Sholes & Glidden Type-Writer」の売り上げは、かんばしくありませんでした。はっきり言って、一般向けには、ほとんど売れていなかったのです。それにもかかわらず、ショールズは、新しいタイプライターの開発を続けていました。開発資金を稼ぐために、ショールズは、新聞編集者と公共事業職の両方の収入を必要としたのです。

この頃ショールズが開発していたのは、ポータブル・タイプライターと呼ばれる、持ち運びのできるタイプライターでした。新聞編集者ショールズは、新聞記者が取材先にタイプライターを持っていく時代が必ず来る、と信じていたのです。ただ、「Sholes & Glidden Type-Writer」はミシンと同じくらいの巨大さで、とても現場に持っていけるようなシロモノではありませんでした。もっともっと小さなタイプライターが必要だ、と、ショールズは考えていたのです。

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(ポータブル・タイプライターとショールズ)

そんな矢先の1877年3月11日、グリデンが病死しました。享年42。ショールズは、共にタイプライターを開発してきた若い仲間を失いました。その頃からショールズ自身も健康を害し、喀血と不眠症に悩まされます。転地療養を決意したショールズは、1877年11月、ミルウォーキーを離れ、コロラド州マニトウスプリングスへと向かいました。結核の療養地として知られる温泉街マニトウスプリングスで、ゆっくり病気を直すことにしたのです。

ミルウォーキーを離れたことは、ショールズの身体にとっては良かったのですが、タイプライター発明者としては良くない決断でした。ショールズのいない間に、ヨストとデンスモアは、タイプライターの販売権を、E&Tフェアバンクス社に売却してしまいました。しかもヨストは、その売却金を元手に、アメリカン・ライティング・マシン社という別のタイプライター製造会社を設立したのです。

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「Remington Type-Writer No.2」(The Type-Writer Magazine, 1878年1月号)

また、E・レミントン&サンズ社は、ブルックス(Byron Alden Brooks)という人物と組んで、小文字を打つことができるタイプライターを開発し、「Remington Type-Writer No.2」というブランド名で、1878年1月に発売しました。この時、ショールズのタイプライターは、「Remington Type-Writer No.1」というブランド名にされてしまいましたが、大文字しか打てないショールズのタイプライターは、もはや旧モデルとなってしまいました。1878年8月、ショールズはミルウォーキーに戻ってきましたが、すでに、タイプライター時代の新たな波に乗り遅れてしまっていたのです。

(クリストファー・レイサム・ショールズ(9)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載予定です。
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。