静岡県は伊豆半島の河津(かわづ)に出掛ける。正月は、桜にはまだ早く、意外と寒く訪れる人も少ない。
JRは伊東駅までで、そこから先は運転手も車掌も交替し、伊豆急線に入る。車体はどこか古く、トイレの鍵の「開・閉」の字体も面白みがある。
特急で終点の下田の一つ手前の河津駅で降りる。「かわづ」と「づ」というひらがながそこここにあって目に付く。
駅前のバス停の表示板では、「水垂(みずたれ)」というバス停の「垂」が横画が1本多い。ありがちな共通誤字だが、他の字から類推を働かせる心理からは、納得できるものである。
今春は旅行どころではない長男とその母を東京に置いて、私の母と次男とやってきた。予約が遅いものだから、あいている宿が少なく、たまたま予約が取れたそこは、河津にあり、「七滝」と書いてナナダルと読む地となったのは、幸いだった。そこには「七滝」が振り仮名もなくあちらこちらに記されている。当地では、当たり前の読み方なのだ。
西村京太郎のミステリーには、『伊豆・河津七滝に消えた女』があるそうなので、伊豆の人、旅行好き、地理好きのほか、推理小説ファンは、よく読めるという位相があるのかもしれない。
バスは西湯ヶ野という停留所で降車する。一つ手前の湯ヶ野行きのチケットでも、料金は同じなので大丈夫とのこと、アバウトな感じがのどかでいい。
旅館は、昭和の風情が色濃く残る温泉宿で、案内された部屋には、赤塚不二夫先生の直筆の色紙が残されており、きちんと飾ってあった。おかみさんは、幼いころに見た赤塚さんの顔は覚えているという。漫画を書く、学生のような若い人たちと一緒に訪れたそうだ。
そこには露天風呂があるとのこと、次男と行ってみる。途中のトイレの「殿方」を小学6年生が「とのがた」と読んだ。「殿」は中学で習うことになっている漢字だが、すでに何かで覚えていた。そこに記された「露天風呂」の4字、手書きの略字や異体字には個性が滲み出ていて、味わいがある。この下の「一」が長い「天」は×だとする採点もあったが、昨年の2月に文化庁が出した指針(私は副主査として関わった)が浸透すれば、そうした窮屈な意識から解放される。
その露天風呂は、川を挟んだ民家の窓からは丸見えのようだが、やはり風情がある。ただ脱衣所が吹きさらしで寒いものは寒い。早々に、室内の温泉に戻る。