旅館の風呂場の前に貼られた紙には、字を書き慣れていると分かる筆跡があった。「○○へ」に「ノノ」が加わることはしばしばある(第54回「サンタさんへ」:「へ」に点々?)参照。文末ではなく文中にあるのは、やや珍しい。赤塚不二夫先生は色紙に、これを使わずに「江」と書いていた(前回)。この貼り紙では、「人」にも「ノノ」が加わっている。1枚にその2字が同居するのは珍しい。女湯の前の(もちろん中ではない)貼り紙でも同様だった。
部屋で聞こえるのは、七滝から続くとみられる川のせせらぎだけと静かで、料理も海の物山の物が程よく、とくに昭和世代は大満足だ。平成生まれは、テレビの局数が少ないという。
夜に散歩に出ようとしたら、真っ暗闇で危なくて先に進めないので、夜空を見上げてみた。目が慣れてくると、星々の微かな煌めきに満たされていたことに気づく。まるでプラネタリウムのようだ、と感じてしまうのは、都会生まれの悲しい性分である。正月は空気が澄んでいて、車窓からの海の眺めもまた美しかった。
河津で泊まった翌朝、旅館の窓から、伊豆の山並みと清流の間に、馬に乗った人の姿が見えた。近くに馬場があるようだ。事前には、最低限の下調べだけをしておいたが、誰もスマートフォンなど持ってきていないので、後は現地の人の温情と勘だけが便りとなる。
おかみさんに聞くと、馬に乗らせてもらえるという。子供には良い経験になるので、帰り道に寄ってみた。
そこに辿り着くまでの何てことのない坂道が老人には厳しいようだった。安くて甘い土産用のみかんなどの荷物を預かる。平地に着くなり、放し飼いされた大きな犬が向かってくる。犬が苦手な私には怖い瞬間だ。
そこはこぢんまりしたきちんとした乗馬クラブだった。あてのない旅の偶然の事情を話すと、サラブレッドだった馬を見学させてくれた。見ているだけでは物足りなくなって、馬の長い顔を触ったりしだす。途中から馬が怒り始めて、母は手を軽く噛まれた。馬にも挨拶が必要なのだそうだ。
厩舎には、説明書きが貼ってある。「せん馬」、これは以前新聞の外字を調べたときに覚えたので分かる。去勢された馬のことで、「騸=馬偏に扇」だ。ほかに、「口偏に亢」という字を使った「吭搦左」というのもある。これは何だろう。1字目は確かのど、のどぶえ、2字目はカラメだが。
そこで働く同年代くらいの男性に尋ねてみた。少し考えて、のどだったかな、とのこと。3字目に「左」とあるが、もし「二」とあれば、つむじが2つあるということ、と説明をしてくれた。よく見ると、喉もとに確かに旋毛のようなものがあった。
財団法人日本軽種馬登録協会に「馬の毛色及び特徴記載要領」というものがあったようで、それを引用する公益社団法人日本馬事協会「馬の毛色及び特徴記載要領」(第7版、リンク先はPDF)を、今ネットで見てみると、この2字は「ふえがらみ」と読み、「咽喉及び頸の下縁(頸溝より下)で、頭礎から下、頸の上方約1/3以内にある旋毛」を指すそうだ。この昭和51年2月1日に設定され、平成23年11月1日まで改訂されてきた資料には、一時期テレビ番組などで流行った「鬣」(たてがみ)はもちろん、「鬃」(まえがみ)、「鬐甲」(きこう)という難字まで使われている。
「膁」は何度も出てくるが、振り仮名がない。漢和辞典によれば、ケンで、家畜の肋骨と腰骨との間の軟らかくへこんだ部分という。改めて馬の図を見ると、より狭い範囲を指しているようにも映る。
古代の中国人は、さすがによく動物を観察し、さまざまな部位に命名を重ねてきたものだ。ただ、「頬辻(丶は一つ)」(ほほつじ ほほにある旋毛)には、「辻」という国字が使われており、日本的な表現も残っている。ほかに、「唇白」という特徴もあり、そういえば『大漢和辞典』の字訓で、「くちのくろいうま」(「駯=馬偏に朱」)など、そのような長く細かいものがあった。
今は、チップを埋め込んで個体識別をするようになっているが、こうしたことばで特定する方法が残っているそうだ。そういえば年末に来た女性銀行員は、ノートパソコンに顔をあてがっていて、顔認証なんです、と笑った。
知らない業界のことばと文字は、際限なくあることを改めて思い知る。馬であっても蛇の道は蛇、正月らしく言うならば餅は餅屋。いくら漢字を研究していると言っても、その道を究めている人には叶うはずがない。それぞれの専門家に、このように事実をうかがえることが嬉しい。