高知大学で開催された日本語学会の受付で、名札をもらったところ、「笠原」と書かれていた。日本語の学会でもこうなるほどだから、あちこちで間違われるのは当然かもしれない。人口比が大きく影響しているのだろう。
高知市内で、回転寿司に入ってみた。「くせ」と胸元の名札にある。濁らないのか、漢字はと、気にはなったがそのままにして食べて出た。東京に帰ってから、道中で得られた品々を整理しているとき、領収書を眺めたら、「久笹」という名字がプリントされていた。「くせ」の「せ」が「笹」だったのか、そしてこの字を音読みしたのか。そのお会計の場で、間違いがないのか、本名なのか(芸名とは思えない)など聞けば良かったと後悔する。私の「笹原」は、江戸時代以来の富山での屋号に由来するが、中世に現れ、近世に広まった国字である「笹」を含む。このササは、中国では「竹葉」(zhu2ye4 ジューイエ)と呼ぶ。パンダが食べているのもそれなのだ。中国では「笹」の字をよく「世」(shi4 シー)の発音で読む。韓国でも、現在においても書誌情報では便宜的に同様に「世」(se セ)で発音させている。
土地鑑が0のところは、面白い。「とでん」が走っている。「都電」ではなく「土電」で、かなり長い距離を走っているようだ。電車、いやディーゼル列車と併走区間もあるが、よく耐えて営業していた。車体は古そうだが、味がある。ポイントでは線路がつぎはぎになっているためにガタガタするのもいい。
電光掲示板が車内で停留所を知らせる。
蓮池
ドット文字で、2点の「辶」だ。しかし駅名標(駅標)では1点だけの字体だった。
次は「ますがた」と車内放送が流れる。行きの車両では電光掲示板で「升形」と出たように思うが、写真では撮れていなかった。帰りの車両では「枡形」であり、違っていたとしたらなぜだろうか。
往々にして、このような揺れは見られた。「ますがた」は軽井沢などあちこちで見受けられる土地の形状であり、地名のようになっている。「□」の中に「/」を入れたマスは、上から見た枡を図案化したもので、江戸時代から使用されてきたものだ。
写真館だろうか、看板の「○○写場」という店名も気になる。その表札に「桝形」と地名が達筆な筆字で書かれている。「枡形」が土電の駅名であるのは、古い表記が駅名として残りつづけているという例だろうか。「升形」は施設名にも用いられていた。木偏がないのが地名表示のようで、バス停もそうなっている。これが今は正式の地名となっているようだ。当用漢字時代に、書きかえや統一がなされたものだろうか。ひらがな表記や、「ますがた」とふりがなが付いた表示もある。
各地にある「ますがた」にも「升形・枡形・桝形」という、ここと同じ揺れが観察される。元は「升」でよかったはずだ。それに木偏を付した国字ができる。単位と容器とを区別するためだったのだろう。結果として形声のように旁が訓読みを表す。会意性も兼ねて、定着した。「升」は「舛」のようにも書かれた。崩し字からの回帰形がセンと読む誤りという意味の字と衝突し、吸収されたものだ。「舛添」姓も近年よく目にする。
「桝形」という表札で見た住所の字体は、かって国語審議会からの答申によれば簡易慣用字体と位置づけられていた。この用語は、簡易or慣用という構成で、この字体が入っているのは、簡易ではなく慣用という位置づけによるものなのだろう。学術用語集でも、この何かもっともらしいたたずまいの字画を持った字体が使われている。大半の大学生も、「枡」よりも「桝」のほうが本来のものだと感じている。現代の金石文の一つといえるマンホールでも、しばしばこの「桝」が鋳込まれているのは、そうした意識と関連することであろう。