場面:化粧する女のもとに男が訪ねたところ
場所:伊勢国河辺(かわべ)の里の川沿い
時節:夏
人物:[ア]傘をさした男 [イ]化粧する女主人 [ウ]侍女
屋外:①勢田川 ②真菰 ③松 ④橘 ⑤・⑥苫舟 ⑦舟杭 ⑧横枠 ⑨木碇 ⑩碇綱 ⑪重り石 ⑫蛍
建物・調度など:㋐網代垣 ㋑女の家 ㋒・㋙小柴垣 ㋓小屋 ㋔板屋根 ㋕・㋠・㋢・㋥遣戸 ㋖下長押 ㋗・㋜簀子 ㋘・㋚蜘蛛の巣 ㋛きりかけ ㋝竹の節欄間(たけのふしらんま) ㋞脇障子 ㋟鍵 ㋡格子 ㋣高麗縁の畳 ㋤板敷 ㋦押障子 ㋧竿を吊るした衣桁(いこう) ㋨衣 ㋩・㋮打敷(うちしき) ㋪櫛 ㋫金蒔絵の櫛箱 ㋬眉筆 ㋭円鏡 ㋯切灯台(きりとうだい) ㋰油皿 ㋱灯芯 ㋲金棒 ㋳油差(あぶらさし) ㋴枕 ㋵衾(ふすま) ㋶立烏帽子 ㋷直垂袴(ひたたればかま)姿 ㋸腰刀 ㋹大傘 ㋺扇 ㋻高足駄(たかあしだ)
はじめに 今回採り上げますのは、三重県伊勢市にある伊勢神宮周辺の土地の風趣を描いた『伊勢新名所絵歌合』です。この一場面に庶民と思われる女性が化粧をしている様子が描かれていますので、見てみたいと思います。
『伊勢新名所絵歌合』 最初にこの絵巻について触れておきましょう。あまり聞いたことのない名前かもしれませんが、名所絵と歌合とが合体した珍しい絵巻です。鎌倉時代の永仁3年(1295)頃に成立したと考えられています。
成立事情は序文もあって、かなり明らかにされています。伊勢神宮にかかわる神職や僧職にある人たち16人が、神宮周辺から新たな名所を10ヶ所選び、春・夏・秋・冬・恋・雑に分けて風景を絵画化し、それを題にして歌合をしました。歌合の判詞は、京の二条為世(ためよ)に依頼されました。為世は定家の曽孫で、当代を代表する歌人です。
名所一カ所ごとに歌合の歌と判詞が詞書のように並び、それに絵が付いて上下二巻に仕立てられたのが、『伊勢新名所絵歌合』ということになります。原本は下巻のみしか残存していませんが、摸本が幾つかあることで、全体の様子がほぼ分かります。なお、原本の判詞は為世の自筆とされています。絵師は伊勢の人か、京の人かはっきりと分かりません。
河辺の里 絵巻に描かれた新名所10カ所は、現在の地にほぼ比定されています。今回扱います河辺の里は、伊勢市河崎町になるようです。伊勢神宮外宮に沿って流れてきた勢田川下流のほとりの里です。勢田川は、内宮を流れる五十鈴川(いすずがわ)と河口で合流して伊勢湾に注いでいます。
河辺の里の風景 それでは新名所、河辺の里の風景を見ていきましょう。画面右側が①勢田川になります。五月雨に水嵩が増して、さざ波を立てている感じがよく描かれています。この波は、河辺の里は河口に近いので、入潮も表現しているのかもしれません。
水辺にはイネ科の多年草、②真菰が生えています。
樹木も画面右下と上部に描かれています。岸辺に生えるのは③松のようですが、人家の㋐網代垣の中に生えているのは何でしょうか。剥落していますが、かすかに花びらが残っています。五弁の花のようなので、夏の代表的な樹木となる④橘でしょう。
岸辺には二艘の⑤⑥苫舟(苫で屋根を葺いた舟)が係留されています。奥の⑤舟は⑦舟杭に繋がれています。艫(とも)には両端に立てた棒に⑧横枠が見えます。他の場面に見える舟にはこの横枠が二つ描かれていて、櫓(ろ)が載せられていますので、ここは一つ描き忘れたのかもしれません。手前の⑥舟は⑨木碇を岸に上げ、⑩碇綱が引かれないように⑪重り石を載せています。
この舟を、漁労に従事しながら住み暮らした家船(えぶね)のものと捉える説があります。しかし、画面に描かれた[ア]男が乗ってきたと見ることもできるでしょう。
舟の上部には飛んでいる⑫蛍が見えます。この画面のカットした右側には、もっとたくさんの蛍が飛びかっています。そうしますと、この場面は夜ということになります。河辺の里は、蛍の名所であったようです。
河辺の里の夏の風景は、勢田川を中心として、五月雨、入潮、波、真菰、松、橘、苫舟、蛍などで描かれました。絵が題になる歌合ですので、これらの景色が歌に詠まれています。一番だけ見ておきましょう。
歌合の歌 次の定顕と良誉が左右の詠者、引用末にあるのが為世の判詞になります。
四十七番 左 定顕
水まさる河辺の里の五月雨に刈らぬ真菰は波ぞしきける(九三)
右 良誉
蛍飛ぶ河辺の里の夕闇に色こそ見えね薫る橘(九四)
左、真菰、右の橘、同じほどの事にや【訳】四十七番、左、定顕
河辺の里の五月雨によって水嵩が増している川に生える刈られてない真菰には、波がしきりに寄せていることだ。
右、良誉
蛍の飛びかう河辺の里の夕闇に、色は見えないけれど、ふくよかに薫る橘の花だよ。
左の真菰、右の橘、同じ程度の出来具合であろう。
いずれも先に見ました風景を詠み込んでいますね。この勝負は持(じ)、すなわち引き分けとされました。
女の家 続いて㋑女の家の様子を見てみましょう。画面下には㋐網代垣や㋒小柴垣で囲われて㋓小屋があります。㋔板屋根には大小の木材を置いています。小屋の手前側は㋕遣戸になっていて、㋖下長押分下った㋗簀子が見えます。物置小屋ではなく、使用人でも住むようになっているのかもしれません。
小屋左側の㋒小柴垣に糸のようなものが張られて何かが吊られています。これは何でしょうか。これは㋘蜘蛛の巣になります。手入れのされていない様子になりますが、わざわざ巣を描いたのには、別の意味があるかもしれません。後で触れることにしましょう。なお、画面左上の㋙小柴垣にも㋚蜘蛛の巣がかかっています。
小屋と主屋の間は、庭に㋛きりかけと、㋜簀子に置かれた、㋝竹の節欄間の付いた㋞脇障子とで仕切られています。㋟鍵が掛けられているのが分かりますね。脇障子の右側は㋠遣戸、左側は㋡格子に㋢遣戸になっています。簡素な作りの家のようです。
化粧する女 さらに吹抜屋台の技法で描かれた室内を見ましょう。㋣高麗縁の畳に座って化粧しているのがこの家の[イ]女主人、㋤板敷にいるのは[ウ]侍女でしょう。女主人背後の右側は㋥遣戸、左側ははめ込め式の㋦押障子(襖)のようです。㋧竿を吊るした衣桁には㋨衣が掛けられています。
化粧する女主人の右側には㋩打敷(敷物)の上に㋪櫛が三本見えます。左側には㋫金蒔絵の櫛箱が開かれています。原典では女の頬が赤く彩られていますので、手に持つ筆は㋬眉筆で、㋭円鏡を左手で持って引眉を描いていることになります。櫛箱左の㋮打敷の上は、形が崩れていてはっきり分かりませんが、眉墨かもしれません。
侍女は何をしているのでしょうか。これは㋯切灯台(脚の短い灯台)の㋰油皿に浸した㋱灯芯を㋲金棒でかきたてて明るくしようとしているのです。切灯台の横に見えるのは㋳油差でしょうか。女主人からもっと明るくしてと言われたのでしょう。
では夜なのに女主人は、なぜ化粧をしているのでしょう。それは、男が忍んで来るからです。あらかじめ連絡があったのでしょう。外に立っているのが、その[ア]男になります。女の左側に二つ見えるのは㋴枕、その横には㋵衾(夜具)が置かれていますので、これから夜を共にするのです。
訪れた男 ㋶立烏帽子、㋷直垂袴姿に㋸腰刀を差した男は五月雨の降るなか、㋹大傘と㋺扇を手にし、㋻高足駄を履いてやって来ています。高足駄は雨中には足が汚れずにすみますね。安定をよくするために、足駄の歯は下の方が広くなっています。これから訪(おとな)いを告げるのでしょう。画面はちょっとした恋物語になっているようです。
絵巻の意味と意義 新名所を描くのに、この場面ではなぜ恋物語のようなシーンが描かれたのでしょうか。想像をたくましくすれば、⑫蛍との関連ではないかと思われます。蛍はみずから光を発することで、燃えるような恋心を表象しました。絵師は蛍からの連想で恋物語を風景に添えたのではないでしょうか。㋘・㋚蜘蛛の巣が描かれたのも、蜘蛛が動くのは恋人が訪れる前兆とされたことを暗示しているのでしょう。風景画の中に恋物語を思わせる人事が描かれた意味は、蛍にあったと考えておきます。
絵巻の成立からすれば、場面は鎌倉時代の自然風景となります。しかし、その描きかたは、平安時代からの伝統的な風景表現を踏襲しています。そして、ここには人びとの生活の様子まで描かれています。美術史的にも貴重であるだけでなく、さらに歌合と一体にさせたところにこの絵巻の意義があるのです。