ある特定の言葉づかい(語彙・語法・言い回し・イントネーション等)を聞くと特定の人物像(年齢、性別、職業、階層、時代、容姿・風貌、性格等)を思い浮かべることができるとき、あるいはある特定の人物像を提示されると、その人物像が使用しそうな言葉づかいを思い浮かべることができるとき、その言葉づかいを「役割語」と呼ぶ。
[金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(2003、岩波書店)]
これは以前にも取り上げた(第28回)、金水先生による「役割語」の定義である。ここでは「役割語」が、「役割」という名こそ付いているものの、目的論から切り離された形で定義されている。とかく目的論には警戒心を抱きがちな私も(第35回・第36回・第37回参照)、この定義はすんなりと受け入れることができる。金水先生にならって「わし」のようなことばを「役割語」と呼んでいるのは、そういうわけである。
「役割語」という用語をそのまま踏襲する一方で、金水先生が「人物像」と仰るものについては、私は「人物像」とはあまり呼ばず、しばしば「キャラクタ」と呼び変えている。これは一つには、次のマンガ学習参考書の例のように、
ネコ:バラバラにすれば部首が見つかるニャン
イヌ:バラバラにしてどうするワン[まんが塾太郎(著)・小田悦望(画)『マンガだけど本格派 漢字のおぼえ方 漢和字典[部首]攻略法』(1997、太陽出版) p. 15.]
ネコが「見つかるニャン」、イヌが「どうするワン」、さらには『おそ松くん』に登場する毛虫のケムンパスが「ケムンパスでやんす」というような、マンガ世界内とはいえ「人物」とは必ずしも呼びやすくない存在の発話を気にしたせいでもある。
だが、もっと大きな動機は、いま示しつつあるように、ことばと人物像の結びつき方が第3の結びつき方(金水先生の定義に現れているのはこれである)には限られず、さまざまな結びつき方がある、ということに関係している。「キャラクタ」という用語を導入するのは、それらの結びつき方の全体をとらえ、なおかつ個々を区別するためである。
役割語によって暗に示される『老人』のような、発話動作の行い手としてのラベルづけられたキャラクタを、適宜「発話キャラクタ」と呼び、単なる「ラベルづけられたキャラクタ」や、次回とりあげる第2の結びつき方のキャラクタ(「表現キャラクタ」)と区別することにしよう。金水先生は、ことばとキャラクタの結びつき方のうち、特に[発話動作-発話動作の行い手]という結びつき方(第3の結びつき方)に着目され、「役割語」と「発話キャラクタ」をセットで定義された、ということになる。