漢字の字体は容易に目に入り、面白味に満ちているが、やはり文字研究の醍醐味は表層にとどまらぬ、ことばとの関わり方にある。
高知空港行きのバスの車内には「次停止釦」と表示されている。「釦」はここにもあった。外来語への漢字表記は、当用漢字時代の抑圧を経ても、なお絶滅しそうにない。洋服のボタンだけでなく、機器のボタンにも用いられているが、前者はポルトガル語からで、後者は英語から、ときれいに分けることができるだろうか。
「梼原(ゆすはら)」は竜馬が脱藩を決意した地として有名になったそうだ。字源により近い字体を用いた「檮原」は、一般に字に愛着を感じにくそうだ。世田谷の松濤や中国の胡錦濤もしばしば略して記されているように、総じて字画が難しすぎるのだ。「ゆす」は漢字の字義とは合わないが、「ゆず」からか。「いす」という読ませ方も江戸時代の文献で見ており、気になるが、そこまでは足を伸ばせない。
語と語に挟まれた「ヶ」や「が」が駅名には見当たらなかった。この辺りでは、そうした助詞がすべて「の」になるのかと思うと、バス停にはあった。
安ヶ谷 やすがたに
「ヶ谷」が「がたに」は西日本らしい。東日本では「谷」を意味する俚言「や」を用いて「がや」となるのが伝統的な形だ。「渋谷」も西日本では、シブヤではなく、シブタニが地名や姓で優勢だ(大阪府立の渋谷高校、関ジャニ∞の渋谷すばるなど)。「や」は、学校で習わないが、音読みと思い込んでいる人も少なくない。各地の「やち」「やつ」「やと」も同源とされる。人の移動、引っ越しなどは絶えずあるのだが、「たにむら産婦人科」という看板も、いかにも西方の姓という感じがする。谷崎潤一郎を「やざき」と読んだのは、群馬出身の男子の旧友だった。プロ野球選手の姓からの影響もあったのかもしれない。
バス停の名は、車内では順次、電光掲示されていたが、縦書きで、「ヶ」が左下方に位置していて、違和感が残る。これに、さらに「ぁ」、もしかしたら「っ」「ゃ」などにもそうした政策による明確で厳格な規範はないはずなのだが。「衣ヶ島」も看板にある。
「横浜」もバス停にあった。なるほど、浜辺だ。
バス車内の電光掲示に「塩谷」と出た。ここは高知なので「しおたに」だろうと予測して、耳を澄ませば、「しおや」とテープで放送された。これは例外中の例外、新しい地名なのだろうか。通過するバス停で、表示を確かめないといけない。「谷」で「や」とは、四国なので、「祖谷(いや)」あたりからの類推か、などと頭を巡る。
バス停では、「塩屋」という表記であった(往路で確認)。何のことはない、バス車内の表示の誤入力だった。東日本など、よその地で入力して作っているのだろうか。隣の「東塩谷」についても同様であった。
「小村神社前」は「おむら」と発音している。東北では「小」は「お」と読むという話を聞いたこともあったが、これはどうも実証できない。終点は「ミマセ」との表示、何だろう。着くと「みませ」、そして「御畳瀬」とあった。これは仮名でないと読めない。
その終点で降り、海に出て、階段を上ると塀の上に登ってしまった。2メートルはあり、おそるおそる猫のように渡っていくと、行き止まりだ。降りるために作られたはずの階段は閉鎖されている。道路に飛び降りると脚をやられそうだ。あやうく折り返すバスに乗り遅れるところだった。乗れなかったら1時間半以上は、そこで待ちぼうけとなり、文字を訪ねる遊覧が途絶える危機だった。このバスに乗ることを運転士さんに伝えておいて良かった。
「すこやかな杜(もり)」と看板にあった。これも早稲田はともかく仙台を連想するのは、宮城県で例を見すぎたためだろうか。でも仙台生まれ子には「杜」があやかって付けられていることが少なくない。実は「奈」の字も、神奈川や奈良でとくに新生児によく付けられているようなのだ。国がやらないならば、きちんと統計をとってみたいものだと思っている。