「辻」(つじ)は、東京では普通名詞としても地名としてもあまり現れなくなっている。東国でも鎌倉などでは普通に使われていたが(「逗子」も「辻子」とも書かれた)、「四つ角」や「⼗字路」(漢籍に出る語)の語に取って代わられた感がある。むろん神奈川の「辻堂」など、今でもなくはないのだが、東日本の学生たちは、この「辻」という字を見てもどういうものかイメージがあまり沸かないという。
辻は、抽象的な意味でもなく、象形性も帯びているが、「辶」自体の意味が漠としていることも一因であろうか。「つじ」は語としても使わなくなってきたし、語も忘れかけている人には、十字路を惹起できないのも当然であろう。字についてもピンと来ない人が多いようで、書いてもらうと、似た形の字と混乱して「述」のように誤る人が少なくない。
読みは、「和辻」ほか、作家などの姓にもあるためだいたい読めるようだ。古く、「つむじ」とも読まれた。頭髪の旋毛、つむじ風(旋風・つじ風)と同源と考えられる。
「辻」は、『北史』など漢籍に四つつじを意味する「十字街」があることに基づいて作られたと考えられる国字である。象形的であり、珍しい。平安時代から現れる比較的古層の国字に位置する。
「辻」という字の使用が、現在では近畿に優勢という地域性が姓や地名の分布からもうかがえる。先に触れたように、普通名詞での頻度も違いがあるようで、西日本では今でも普通名詞としてよくこの字が登場する。大阪で、行き先までの道を知らせる店の看板に大きく書かれているのを見かけたことがある。高知では「辻道(つじみち)」とあった。
恩師の辻村先生は奈良のご出身でいらした。阿辻姓、⻄辻姓なども近畿の姓にあるのだそうで、辻元清美議員も関西であろう。よみうりテレビの日中の番組で、随分前に、心霊写真なるものの鑑定を担当していた宇治の辻本源次郎氏が、民家の下駄箱の裏に貼り付いていた大きな「☆」形の粘菌様の物体を、金星人かなにかだから心配ないと繰り返し鑑定していたことが忘れられない。
このように、京都や大阪、奈良では小さめの地名、姓として集中している。朝日新聞社は、いわゆる朝日字体を表外漢字字体表に即して一挙に印刷標準字体といういわゆる康煕字典体に換える際に、「辻」は例外的に点を一つの字体のままに据え置いた。それは、姓での「辻」の多用をよく把握していて、姓での使用で定着しているためこの字だけは問い合わせの来ないようにと考えての対応だったそうだ。和製漢字なので、むろん『康煕字典』にはない。「しんにょう」は元々7画の字だったが、同じパーツを含む「足」「走」よりも多用されて、崩し字が楷書として定着したものだ。「走」も「赱」のようになることはあるが、体系的に採用されるほどではなかった。このようにできた字であり、点の数に大意はない。
デジカメは便利だ。目が悪い、詳しくは近視で視力が低いので、遠い細かい字は見えない。困ったので撮って拡大したところ、次の駅名がきちんと読めた。とかく停車場は、遺跡の名称のケースに近く、失われつつある小地名が正式名称として浮き上がってくることがある。
高知市内では、
梅の 土電で
梅の辻
とあった。
電柱には手書きで「梅ヶ」とも書かれているところが自由で良い。よく使う地域では、1点しんにょう(しんにゅう)となりがちである。作家には、2点しんにょうで印刷された名字やペンネームが目立つ。一部の作家は書物ではこだわっているようだが、それは従来の活字の習慣を、本人だけでなく周囲が守っているためではなかろうか。つまり、もしかしたら編集者が気を遣ってのことというものもあるのではなかろうか。