高知では、看板に、「うどん そうめん」とあった。さすが西日本、和食では「そば」よりもこうした麺類が主流で、人気なのだろう。
「そば」も少しは看板で見かけた。「楚者」を崩した変体仮名のものも「信州そば処」などいくらかあった。「楚ば」もあった。しかし、東京ほど頻繁に使われているわけではなさそうだ。沖縄まで南下すると、ソバの種類自体が異なることもあってか、この変体仮名使用はついに見かけなかった。近畿地方一帯でも少なめだったが、関東風のソバを売る店では看板に見かけた。西日本では、ソバそのものを看板に大書するような店がそもそも東京よりも少ない。「そば」の変体仮名による表記には、地域性がある程度確認できそうに思っている。
「すし」も、地域差が実は顕著だ。それは、普通名詞よりも店名に現れやすく、相互の影響が気にかかる。もらった高知のパンフレットには「神祭じんさい寿司」「寿し柳」などとあった。
街中では「寿司」が多い。そして「寿し」も多かった。「寿し一貫」と看板になるのは、店名で、チェーン店だろうか。「寿し」は、高知では店名にもメニューにも頻出した。
一方で、関東で馴染みの「鮨」も、近畿で根強い「鮓」も、確か一度も見ることがなかった。店名の都道府県別の使用の分布を出したことがあったが、その調査結果とよく符合する。地方都市らしいこの表記傾向を実際に都市景観の中で呈していた。電話帳によると、高知県では下記のようになっていた。
鮨 6.7%
鮓 0%
寿し 44.9%
寿司 48.3%
こうしたものにも時代と地域の変動が続いている。都内で、「柿家鮓」という店名の看板が、去年だったか、「柿家鮨」に掛け変わっていた。都内では、「寿司」は回っていて安そう、魚が載っていなさそう、などという印象が聞かれるのだが、こういう意識にも地域差があるのだろう。「すし正(しょう)」というひらがなの店名も高知にあったが、これにも頻度差がありそうだ。
昼を食べるために、函館市場という名の店に入った。筆字風のロゴだが、「函」の最初の2画は、よく見ると、北海道の地元式の「了」(第48・49・57・135回参照)とはなっていない。
そこは回転寿司で、回るいくつもの皿には、紙が載っている。「活〆した」「〆鯖」「最後の〆を」と、「〆」という国字もいくつもクルクルと回っていた。エビは北海道と違ってやはり「海老」だ。
すし店を出ると床屋へ入ってみる。髪がぼさぼさだ。出張中は時間がフとできることがあり、北海道でも、奈良でも、立ち寄ってみた。知らない土地の理髪店は、設備もサービスも違う。耳かきだか爪切りだかもあったような気がする。
学生ですか?
久しぶりに聞かれた。大学でも「先生だったんですか」などと言われることがあった。ヒゲやシワ、肉などでもっと貫禄をつけたほうが何かとよさそうだ。
そうです。
と言っておけば、学生料金になったのかもしれない。京阪式のアクセントだが、訥々とし、テンションもそうは高くないことも加わって、やや意気阻喪してしまった。高知の人は関西風のアクセントで話しておいでだったが、総じて大阪や徳島の人よりも大人しい印象だった。尋ねるつもりだった、
「たまご」はどう書かれますか?
など、聞かずに終わった。せっかくの取材のチャンスだったが、ほぼ身繕いと休息だけに終始した。頭を洗われながら、赤ちゃんをこうやって優しく洗ったことを思い出す。今度は、切った毛を下に落とすための箒のようなものが、荒くて痛い。
支払いの時に、カードをもらった。もう二度と来られない場所だと思われ、この手のハンコは都内でさえも溜めきることがほとんどないのに、ここでは半分迷いながらも勧められるままにカードを作ってもらった。ハンコを一杯にできるかが問題だが、店名に含まれる「爵」という字のゴシック体風のロゴが目に止まった。最初の「ノツ」の「ツ」の部分で、左の「、」だけ「ノ」と旧字体のような向きになっていた。わざと、髪型を意識してデザインされたものだろうか。もらって良かった。看板でもそうなっていた。
「暫時」という語を実際に使うところも、今回は聞けなかった。東京では、「漸次」や「漸近線」のゼンと混じって、ザンかゼンでまず読みが揺れ、意味も古語の知識も混じってまた揺れる。漢語が方言となることはけっこうある。福岡の「離合」、愛知の「放課」などもそうだ。
下記の店名は、ディーゼル車の窓から見えた看板にあった。
「関田さん家」
この「家」には、ふりがながちらっと見えた。「ち」だったのだろうか。この辺りでもこのかなり一般化している表外訓を使うのだろうか。