表現キャラクタと発話キャラクタが違うといえば,MRIの話をしないわけにはいかない。
MRIというのは「核磁気共鳴法」 (Magnetic Resonance Imaging) といって,早い話が体の断層写真を撮る技術のことである。親が脳内出血で倒れたから自分も念のためにと,人間ドックのオプションで脳ドックを頼むと,頭の断層写真を撮ってくれて「脳血管に異常はありません」などと診断してくれる,あれである。
実は私は,もう十年になるが,MRIを使って口の中を撮る研究に関わっている。たとえば英語を発音する際に舌をどう動かせばいいのか,もっともらしい説明はあるけれども,本当のところどうなっているのかは,実際に口の中を撮ってみないとわからない。そんなもの撮れるものか,というのがMRIのおかげで撮れるようになったので,撮っているのである。英語だけでなく,日本語や中国語についても発音の様子を撮っている。朱春躍先生や林良子先生,そして故・杉藤美代子先生といった共同研究者のおかげで,さまざまなことがわかってきた。ここで紹介するのは,そういう調査の一環として撮った「口をとがらせた発音」である。
とにかく,「口をとがらせた発音」を視聴してみよう。ここに挙げた,口の断層写真をクリックしてもらいたい。
ハイ,ようこそ。ここは「口をとがらせた発音」のページです。このページには口の断層写真が左右に2枚並んでいますね。右の写真をクリックすると,その口がとがりながら「いやーちょっとそれはーむずかしいすねー」としゃべります。左の写真は対比のために準備した普通の発音で,クリックすると口はとがらず,「いやーちょっとそれはーむずかしいすねー」と,普通にしゃべります。
こうして比べてみると,左の口と違って右の口は,ただちょっとむずかしいと言っているのではなくて,『年輩男性』が目上の相手に向かって恐縮しながらしゃべっているように聞こえますよね。
いや実際,こういうしゃべり方が日常の会話の中に現れるということも,そう珍しいことではない。例を挙げてみよう。こちらはまだ3年にしかならないが,私は「民間話芸の調査」というもっともらしい名目で,いろいろな人たちの数分程度の「ちょっと面白い話」を収録しては,字幕を付けてインターネットに載せている。「ちょっと面白い話」なのでそんなに面白いものを期待されても困るが,時にはかなり面白い話が出てくることもある。これまでに100話ぐらいネットに載せたが,その中の一つに「くまこ」(仮名)という人の「社長の靴下」という話がある。まあとにかく,次のURLをクリックしてもらいたい
://www.speech-data.jp/chotto/2011/
ハイ,ようこそ。ここは「わたしのちょっと面白い話コンテスト」第2回(2011年度)のページです。このページには「ちょっと面白い話」が70個ぐらいズラリと載っていますネ。では「2011047」番の「社長の靴下」のところをクリックしてみましょう。ハイ,「くまこ」さんのおしゃべりが始まります。
このおしゃべりの2分43秒~3分30秒あたりで「くまこ」さんが演じているのは,大きな会社の部長さん(目上)と,その会社を訪ねてきた小さな会社の社長さん(目下)との対話です。
ネタバレを承知で書いてしまえば,この対話の焦点は,この社長さんがズボンの片方を靴下の中に入れたままこの会社にやってきたという珍事です。(「くまこ」さんはこれを「ズボンの中に靴下を入れている」と繰り返し言い間違えていますが,この言い間違えはいま関係ありません。)
「社長,最近流行のファッションとかあるのか?」というあたりからやんわり問いただして,「あんたはズボンを靴下の中に入れているぞ」という核心の指摘に至る部長さんの発音は,取り立ててどうということもない,ふつうの発音です。その一方で,部長の問いに対して「いや私はファッションにはうといもので……」などと答える社長さんの発音は,口をとがらせた発音になっています。『年輩男性』が目上の相手に向かって恐縮しながら口をとがらせてしゃべる,というのは,たとえばこういうことです。
という具合に,MRIデータやら自然会話データやらを観察して,私は「口をとがらせる」という発音法をすっかり理解した気になっていた。口のとがらせ方が他にもあると気づいたのは,つい最近のことである。では,それはどのようなとがらせ方か? (つづく)