《前回からのつづき》
人物:[ア]・[イ]右兵衛府の舎人(とねり)の子、[ウ]・[エ]・[オ]伴大納言家の出納(すいとう)の子、[カ]・[キ]伴大納言家の出納、[ク]前掛姿の伴大納言家出納の妻、[ケ]狩衣姿の男、[コ]公卿の従者、[サ]壷折姿(つぼおりすがた)の女、[シ]・[ス]水干姿の男、[セ]狩衣姿の童、[ソ]平服姿の僧侶
室外:①立て烏帽子(たてえぼし) ②萎え烏帽子(なええぼし) ③端折傘(つまおりがさ) ④深沓(ふかぐつ) ⑤市女笠(いちめがさ) ⑥高足駄(たかあしだ) ⑦蝙蝠扇(かわほりおうぎ) ⑧浅沓 ⑨前掛 ⑩土間 ⑪板扉 ⑫板壁 ⑬網代壁
見物する庶民たち 次に、見物する人々も描かれていますので、その様子を見てみましょう。この人たちの視線は、左端の[ソ]僧侶を除いて、皆、男親が蹴飛ばすところを見ています。しかし、画面の右側には、[ケ]の男しか掲出できませんでしたが、さらに多くの人が描かれていて、その視線は違っています。[ア]・[ウ]の二人の子どもが喧嘩しているところを見ている人も描かれているのです。画面右側では、人々の視線の違いを描くことで、やはり時間の経過も暗示しているのです。ここは是非、図版などでご確認ください。
画面左側の人たちは、男親のどなり声や子どもの悲鳴を聞いたのでしょう、振り返った姿になっています。子どもの喧嘩に親が出てきて、ひどい仕打ちをしたことに、驚き呆れている表情も見てとれます。
しかし、[ソ]僧侶だけは、のんきにあくびをして歩いています。騒ぎに気づかなかったのでしょうか。そうではありません。この僧侶の左側は、違う場面になっています。連続式絵巻に認められる場面の転換を示すために、この僧侶が描かれているのです。
庶民の姿 ついでに、画面左側にいる[コ]と[サ]の男女の姿を見ておきます。[コ]の男は、③端折傘[注1]を背負い、その柄に④深沓を下げています。この二つは公卿が参内して使用するものですので、それを運んでいるのです。これは従僕の様子になります。
[サ]の壷折姿[注2]の女性は、胸元をあらわにし、⑤市女笠を仰向けて、足もとは⑥高足駄になっています。これを履くのは、排便時に、はね返るのを防ぐためのようです。絵巻が成立した当時の庶民の風俗が分かります。
喧嘩の顛末 さて、子どもの喧嘩に親が出て来た場面は、なぜ描かれているのでしょう。『伴大納言絵巻』は、大納言・伴善雄(とものよしお)が応天門(おうてんもん)[注3]を放火炎上させ、それが発覚して左遷されるという内容の絵巻です[注4]。子どもの喧嘩は、その発覚の原因となっています。
蹴飛ばした男親は、伴大納言家の出納[注5]、蹴飛ばされた子の男親は、右兵衛府の舎人[注6]です。二人は、棟割長屋に隣り合って住んでいますが、作りは違っています。出納の家は⑫板壁で、舎人の家は⑬網代壁となり、後者が粗末だとされています。伴大納言の威勢によって、経済的には出納のほうが豊かだったので、舎人を見下し、その子を蹴飛ばすようなことをしたのでしょう。しかし、された子の親としては、我慢できません。舎人は、たまたま応天門が炎上した際に、伴大納言が門の階段から降りてくるのを目撃していて、放火したことに気づいていました。口外はしませんでしたが、伴大納言の威勢を借(か)る出納の乱暴に我慢できず、舎人は、ついに往来でそのことを口に出してしまいます。それが噂となって公の知るところとなり、伴大納言は捕らわれて、左遷されることになるのです。
乱暴者の出納を雇うような伴大納言ですから、放火をし、左遷の憂き目にあうということなのでしょう。また、子どもの喧嘩に親が乗り出すことの愚かさも揶揄されているようです。絵巻には、こんな意味も込められていると思われます。
注
- 骨の端を内に曲げて作った長い柄の傘。晴の時は白布の袋に入れて持参した。
- 袿や単(ひとえ)を身丈に着るために腰帯でたくし上げる姿。腰部が壷のようにふくらむことから言う。
- 平安京大内裏にある朝堂院南面の正門。現在の京都市岡崎にある平安神宮表門は、応天門を三分の二の大きさで復元したもの。
- 絵巻の詞書は、説話集『宇治拾遺物語』第一一四話「伴大納言、応天門を焼く事」の内容とほぼ一致している。
- 雑具の出納をつかさどる下級の使用人。
- 雑役を務める下級官人。階層的には平安京の庶民となる。