場面:薫の「五十日の祝(いかのいわい)」。
場所:六条院春の町寝殿(しんでん)の南面(みなみおもて)。
時節:光源氏48歳の3月。
人物:[ア]冠直衣姿の光源氏 [イ]薫(光源氏の正妻・女三の宮と柏木との密通で誕生) [ウ]・[エ]裳唐衣衣装の乳母か
建物:①高欄 ②簀子(すのこ) ③四尺の几帳 ④几帳の野筋 ⑤打出(うちで・うちいで) ⑥廂の御簾(みす) ⑦帽額(もこう) ⑧上長押(かみなげし) ⑨丸高坏(まるたかつき) ⑩箸台 ⑪祝箸 ⑫繧繝縁の畳(うんげんべりのたたみ) ⑬冠 ⑭柱 ⑮母屋の御簾 ⑯几帳 ⑰檜扇 ⑱裳の引腰
絵巻の場面 この絵は、[ア]光源氏が、襁褓(むつき。産着)にくるまれた[イ]薫を抱いている場面です。なぜ、薫を抱く場面が描かれたのでしょうか。それは、薫の五十日の祝だからです。この絵巻には、祝の場であることが二点示されています。
一つ目は、画面中央の⑥廂の御簾の下から②簀子に出ている⑤打出です。これは、女房装束の袖口と褄(つま)を御簾の下から外に押し出す装飾のことで、晴の儀式・行事で行われます。女房着用の場合と、衣だけの場合とがありますが、ここは後者です。普通は三間にそれぞれ二具出しますが、ここは一間に一具しか描かれていません。画面下方に打出が続いていることになります。
二つ目は、画面中央の⑧上長押の下のあたりです。⑨丸いお盆状に見えるものが、御簾を通して内側に3つ、上長押の左下に3つ、併せて6つあります。この⑨は、丸高坏と呼ぶ食べ物や箸などを載せる台です。左側の真ん中にある丸高坏には、⑩箸台に置かれた、⑪祝箸が見えます。その他には、小皿に高盛りした食べ物などが並べられています。これらは薫に用意された御膳(おもの。食事)で、祝用になります。
赤子が描かれ、この二点があることで、場面は五十日の祝となるわけです。
『紫式部日記絵巻』との違い 同じ五十日の祝でも、本連載第6回・第8回の『紫式部日記絵巻』「敦成親王五十日の祝」と比べてみますと、何やら様子が違っています。『紫式部日記絵巻』では、御膳が地敷の上の「折敷高坏」に置かれましたが、ここでは丸高坏で、台盤に置かれているようです。また、親王は細長を着ていましたが、薫は襁褓です。描かれた女房は、髪上げ姿でしたが、ここは普通の垂髪です。さらに、『源氏物語絵巻』には母親が不在です。そして、何よりも違うのは、光源氏の姿勢が醸し出す、感慨にふけるような内面のありようです。この絵巻の主題は、祝の盛儀よりも、光源氏の内面を描くことにあったと言えましょう。そのために、御膳は御簾に隠れるように描かれたのかもしれません。
場面の構図 それでは、この主題を考えるために、場面の構図を確認しましょう。画面は、⑧上長押を境にしてほぼ左右に分割されます。右側は、⑥廂の御簾と、その下の②簀子に出される、③几帳の裾と⑤打出や、①高欄から南庭にかけての室外から見られる光景です。左側は、吹抜屋台の技法によって、寝殿内部の室内が狭めに描かれています。⑧上長押は、この技法によって左下がカットされています。また、格子も描かれていません。光源氏が座っている⑫繧繝縁の畳のあるところが南廂、その左の⑮御簾の奥が母屋です。南廂は、絵巻では光源氏の身幅くらいの広さになっていますが、実際は3メートル近辺の幅があります。母屋と南廂の床は段差がありませんが、下長押分の段差があるのが寝殿造では普通です。
室外には人物が不在で空漠としており、絵巻を見る人の視線を、室内の光源氏に集中させるように仕組んでいるようです。そして、この構図によって、光源氏の苦悩に満ちた内面に焦点が当てられていると言えます。
薫を抱く光源氏 画面上部に接するように描かれた光源氏は、うつむいて薫の顔を注視しています。この姿勢は、画面の枠によって、おしつぶされそうだとの見方があります。マンガでコマの枠がこのような働きをすることがありますが、ここは、うつむき見る光源氏の姿勢を強調するためではないでしょうか。その姿勢が、光源氏の内面を暗示するのです。
薫は、我が子ではありません。妻の女三の宮が柏木に密通されて誕生しました。柏木はすでに亡き人で、女三の宮は出家しています。光源氏自身は、かつて藤壷に密通し、冷泉帝が誕生していました。光源氏は、過去を思い出しつつ、感慨深く薫を見つめています。その様子は、『源氏物語』に丁寧に語られていますので、その一端を次に引用します。
御乳母たちは、やむごとなくめやすき限りあまたさぶらふ。召し出でて、仕うまつるべき心おきてなどのたまふ。「あはれ、残り少なき世に、生ひ出づべき人にこそ」とて、抱き取りたまへば、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし。
【訳】御乳母たちは、身分のある感じのよい人ばかり大勢お仕えしている。光源氏は乳母たちを召し出して、若君をお世話申し上げる心得などおさとしになる。「ああ、残りの命も少ないこの年になって、生い育っていこうとする人なのか」と言って、お抱き取りになると、実に無心に笑みを浮かべて、まるまると肥えて色白くかわいらしい。
この部分は、絵柄と対応している感じです。本文で示される光源氏の「あはれ」との思いは複雑です。因果応報によって、妻が他人の子を産んだ苦悩に満ちた晩年を、運命的に感じています。そして、無心に微笑む幼な子には、いつまで面倒を見て上げられるかとの憐れみの気持ちも生じています。実父柏木のようにはなってくれるなとの思いもあるのかもしれません。また、実母は尼姿であり、物心ついた頃に、薫がどう思うかも案じられるのでしょう。光源氏は、この子の、誕生にいたる悲劇とその行く末を思い、深い感慨にふけっているのです。こうしたことが察せられる、引目鉤鼻による見事な描き方といえましょう。
薫の様子 一方の薫は、物語では「いと心やすくうち笑みて」とされ、絵巻でも心もち口元が緩んでいるように見えますが、いかがでしょうか。しかし、X線撮影の結果、薫の両手は光源氏に差し向けられていたのが、襁褓や光源氏の着衣で塗り消されたことが判明しています。そして、眠り顔に変更されたとも考えられています。ほほ笑みか眠りかでは、かなり印象に差が生じます。どちらとも見えるというのが実際のようですので、ここは、それぞれの場合ついて、ご自身で読み解いてみてください。
女三の宮はどこにいる? さて、薫の五十日の祝なら、実母の女三の宮は、どこにいるのでしょうか。女三の宮は、母屋を描くことで、そこにいることを暗示させていると考えられます。⑮母屋の御簾に添えられた、⑯几帳の陰にいることになります。尼姿を描くことは、遠慮されたのだと思われます。
乳母たちの姿 最後に[ウ]・[エ]の女性を見ておきましょう。この女性は、侍女ともされますが、『紫式部日記絵巻』に見られたような、髪上げをしていません。御膳に奉仕する侍女たちではなく、やはり乳母だからでしょう。すでに配膳は終わっています。薫の養育は、この乳母たちに委ねられるのです。