『日本国語大辞典』をよむ

第101回 いろいろな正月

筆者:
2022年12月25日

オンライン版の『日本国語大辞典』には検索機能がある。「範囲」を「前方一致」にして「しょうがつ(正月)」を検索すると、次にあげるような、「正月」から始まる語を探すことができる。

しょうがつかざり【正月飾】〔名〕正月の祝いに飾りつけるもの。*洒落本・二蒲団〔1801〕「正月かざりのいいのはどこであったねへ」*巷談本牧亭〔1964〕〈安藤鶴夫〉春高楼の…「クリスマスと正月飾りのごっちゃになった上野広小路の商店街の軒には、かさこそと、竹が軒に鳴って、なんだかせっかちにジングル・ベルがきこえている」

しょうがつきぶん【正月気分】〔名〕正月のゆったりした楽しい気持。

上の2語であれば、現代日本語でも使うし、語義もすぐにわかるだろう。では次の語はどうだろうか。ただし上の2語は小型の国語辞書、例えば『岩波国語辞典』第八版では見出しになっていない。『岩波国語辞典』は見出し「正月」で「―休み」を「用例」として掲げている。この「正月休み」を『日本国語大辞典』は見出しにしていない。

しょうがつことはじめ【正月事始】〔名〕正月を迎える準備をはじめる日。一二月一三日のこと。一二月八日とする地方もある。事始め。正月始め。《季・冬》*俳諧・をだまき(元祿四年本)〔1691〕四季之詞・一二月「正月事(シャウクヮツコト)はしめ 十三日」*俳諧・滑稽雑談〔1713〕一二月「和俗正月事始とて十二月十三日より来陽の諸事を祝し営む也」*諸国風俗問状答〔19C前〕紀伊国和歌山風俗問状答・一二月・九九「十三日、正月事初と云ひて、煤払の祝儀をもなす」

しょうがつしまい【正月仕舞】〔名〕(「しょうがつじまい」とも)年末に、正月を迎えるための準備をすること。収支の総決算をしたり、正月用品や身仕舞を買いととのえたりすること。*浮世草子・日本永代蔵〔1688〕四・五「毎年、世間がつまり、我人迷惑するといへど、それぞれの正月仕舞(シマヒ)、餠突かぬ宿もなく、数子(かずのこ)買ぬ人もなし」*浮世草子・万の文反古〔1696〕一・目録「一世帯の大事は正月仕舞(シマイ)」

しょうがつおくり【正月送】〔名〕陰暦の正月一五日、門松や神棚の松などを取り払い、正月祭事の締めくくりをすること。また、その日。松納め。

現代は慌ただしい時代かもしれない。そしてまた、正月に特別なことをしないということになれば、「正月を迎える準備」もしないことになる。そうなると「正月事始め」「正月仕舞」も「正月送り」もしない。当然、行事がなければ、行事の呼び名も使わないことになり、語が忘れられていく。そう考えると少しさびしい気持ちになる。

「ショウガツキブン(正月気分)」と似た語として「ショウガツゴコロ(正月心)」がある。『日本国語大辞典』はこの語を「正月の楽しい気持。また、常と違った非常に楽しい気持。正月気分」と説明している。「正月気分」「正月心」までくると、どうしても「ショウガツヤロウ(正月野郎)」という語が思い浮かぶ。

しょうがつやろう【正月野郎】〔名〕おめでたい男。お人よし。少しぬけた所のある男。*吾輩は猫である〔1905~06〕〈夏目漱石〉二「手めえが悪体をつかれてる癖に、其訳を聞きゃ世話あねえ、だから正月野郎だって事よ」

この語は筆者が中学校2年生の時にクラスメートから教えてもらった。何かの時にそのクラスメートが「正月野郎」という語を使ったので、「?」と思ってたずねると、「吾輩は猫である」で使われていることを教えられた。それ以来、時々思い浮かぶ語となった。正月のちょっとはなやいだ気分が薄くなっていくと、「正月野郎」のおめでたさも薄くなっていくだろう。

オンライン版で「範囲」を「後方一致」にして「正月」で検索をかけると次のような語がヒットする。

あたましょうがつ【頭正月】〔名〕「はつかしょうがつ(二十日正月)」の異称。骨正月(ほねしょうがつ)。

ほねしょうがつ【骨正月】〔名〕(正月の祝いに用意した塩鰤(ぶり)などの骨と大根などで粕汁にして二〇日に食べたところから)西日本で、正月二〇日をいう。はつか正月。骨降し。《季・新年》*俳諧・誹諧通俗志〔1716〕正月「骨正月 廿日」*俳諧・華実年浪草〔1783〕春・二「骨(ホネ)正月 京大坂にて新年の嘉祝に究めて鰤の脯を用ゆ其魚骨に大豆酒の糟を入煮熟し為節物之故骨正月と云」*諸国風俗問状答〔19C前〕阿波国風俗問状答・正月・三四「二十日 骨正月とて、かけ鯛・塩鰤の骨を今朝粕煮に仕候」(以下略)

むぎしょうがつ【麦正月】〔名〕二十日正月(はつかしょうがつ)のこと。祝い納めに麦飯のとろろ飯を食べるところからいう。とろろ正月。*諸国風俗問状答〔19C前〕備後国福山領風俗問状答・正月・二九「廿日、夷講の事〈略〉又麦正月或は廿日正月と申、必麦飯をたべ候処も、仏神へ団子を供へ候処も御座候」

「頭正月」「骨正月」はどういう語であるか、どういうことをあらわしているか、想像がしにくい。つまり語義の類推がしにくい語といってよいだろう。現代日本語でも使わない。辞書をよんでいるとこういう語に遭遇することもある。またオンライン版であれこれ検索していて、こういう語がヒットすることもある。学生に辞書は読むものではない、と笑いながら言われたことがある。辞書は調べるものであるが、なんとはなしに「よむ」のもわるくはない。オンライン版を使っての検索はいっそう、実際的な行為だろうが、そのあいまに発見もある。「寄り道」や「道草をくう」気持ちの余裕は維持したい。

「後方一致」検索では次のような語もヒットした。

オランダしょうがつ【─正月】〔名〕(1)江戸時代、オランダ人や蘭学者などが太陽暦の正月を祝った宴。当初は長崎出島のオランダ商館で開かれたが、後に広まり、江戸では寛政六年閏一一月一一日(一七九五年一月一日)に、大槻玄沢が「新元会」と称してはじめた。(以下略)

早稲田大学には、江戸の蘭学者たちが大槻玄沢の居宅であった芝蘭堂に集まって、1794(寛政6)年閏11月11日、洋暦の1795年元日にオランダ正月を祝った時のありさまを描いた「芝蘭堂新元会図」が蔵されている。画像は早稲田大学古典籍総合データベースで公開されている。大学生の時に実物を見た記憶がある。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。