『日本国語大辞典』をよむ

第100回 ちりは積もると山となる

筆者:
2022年11月27日

タイトルをみて「ちりも積もれば山となる」の誤りではないかと思った方がいると思います。わざとなのですが、先を読んでみてください。

『伊勢物語』第六段は「芥川」と呼ばれることがあります。女性を連れて逃げている男性が登場するのですが、その連れていた女性を「鬼はや一口に食ひてけり」(鬼がたちまち一口に食ってしまった)という衝撃的な話です。ただしそれは鬼ではなかったということが記されています。この段が「芥川」と呼ばれるのは、「芥川」という川のほとりを通るからですが、この「芥川」については、実際にそういう名前の川があったとか、架空の川だとか、いろいろな説があります。そうした説の中に、宮中の芥を流す川だ、という説があります。「芥川」は苗字にもなっていますね。

さて、「あくた」を『日本国語大辞典』で調べてみましょう。

あくた【芥】〔名〕腐ったりなどして打ち捨てられているもの。ごみ。くず。廃物。また、比喩(ひゆ)的に、役に立たないもの・無益なものをいう。*万葉集〔8C後〕七・一二七七「天なる姫菅原の草な刈りそねみなのわたか黒き髪に飽田(あくた)し著くも〈人麻呂歌集〉」*古今和歌集〔905~914〕物名・四三五「ちりぬればのちはあくたになる花を思ひ知らずもまどふてふかな〈遍昭〉」*雑談集〔1305〕下「糞土(アクタ)などさらへば」*玉塵抄〔1563〕三〇「本のまことの人は、物をさうさうにあくたなことはいわぬぞ」 語誌(1)乾燥した粉末状のものを指す「ちり」に対し、「あくた」は水気をもった廃物をいう。「ほこり」と「ごみ」にもこれと類似の対応が認められるが、水気をもつものの方が廃物の意味全体の代表となる点で、「あくた」は「ごみ」と共通している。(2)現代共通語では「あくた」は古語化しているが、方言では、四国・九州を中心として、特に河川に引っ掛かったごみを指すことで「ごみ」との役割分担をなしている例が見られる。(以下略)

語誌欄を読むと「ちり」「ほこり」「ごみ」についても調べてみたくなりますね。

ちり【塵】〔名〕(1)粉末状や粒子状になってとびちるもの。くだけてとびちるもの。ほこり。(2)小さなごみ。あくた。(3)ねうちのないもの。とるにたらないもの。→塵の身。(以下略)

ほこり【埃】〔名〕(1)とび散る粉のようなごみ。細かいちり。(以下略)

ごみ【塵・芥】〔名〕(1)水の中に浮遊したり、水の底に沈殿したりしている泥。(2)泥状のもの。(3)泥や土ぼこり。(4)その場所をよごしている、役に立たない、きたないもの。ちり、あくた、かす、くずなど。(5)役に立たず、価値のない、または、とるに足りない人や物を比喩的にいう。(以下略)

使用例は省略したが『日本国語大辞典』は見出し「ちり」の語義(2)の使用例として、「枕草子〔10C終〕一五一・うつくしきもの「二つ三つばかりなるちごの、いそぎてはひ来る道に、いとちひさきちりのありけるを目ざとに見つけて」を示しています。2、3歳の小さいこどもが「ちり」を見つけて、指でつまんで大人に見せるという描写になっています。つまり、「ちり」は指でつまむことができるということです。

『日本国語大辞典』は見出し「ちり」を「とびちるもの」「くだけてとびちるもの」と説明しています。語源にはふれていませんが、そのことからすると、「チル(散)」とかかわりがあると(直感的にしても)考えているのかもしれません。

今は電気掃除機や、ロボット掃除機がありますから、「ちりとり」を使うことはあまりないかもしれませんが、まだ「ちりとり」って何? というところまではいっていないでしょう。「ちり」を集めるための道具が「ちりとり」ですね。つまり、「ちり」は集めることができる。

『日本国語大辞典』「あくた【芥】」の「語誌」欄は、「乾燥した粉末状:ちり」「水気をもった:あくた」と説明し、さらに「ほこり」「ごみ」も同じように、「乾燥/水気」で分かれると説明しています。「ちり・あくた」は古語、「ほこり・ごみ」は現代語といってもいいかもしれません。

現代日本語では「ほこり」はたしかに乾燥したものですね。「ごみ」は不要物の総称としても使われているでしょう。「ゴミバコ」に「ほこり」を入れるな、とは言われないでしょう。「粗大ごみ」は水気とは関係ないですが、「生ごみ」には水気があります。

さて、タイトルに戻りましょう。「ちりは積もると山になる」は「(水分が含まれているので)あくたは積もらないし、山にはならない」という意味でつけたタイトルです。

「ちりも積もれば山となる」は『摩訶般若波羅蜜経』についての、龍樹による、百巻に及ぶ注釈書である『大智度論』第九十四巻にみられる「譬如積微塵成山難可得移動」(たとえば、微塵を積みて山と成さば移動するを得べきこと難きがごとし)に由来するものと考えられています。『古今和歌集』の仮名序にも「高き山も、麓の塵泥ちりひぢより成りて」という表現がみられます。あ、掃除をしないとゴミの山になってしまう、という意味ではないことはおわかりですよね。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。