1931(昭和6)年10月25日に出版された、早坂二郎、松本悟郎共編『モダン新語辞典』(浩文社)の第七版(1935年5月10日刊)に目を通していたら「アスリート(athlete)」という見出しがあった。「運動家、スポーツマン」と説明されている。この『モダン新語辞典』は収録されている語彙を38の範疇に分け、「系統索引記号」(凡例)を附しているが、「アスリート」には「運動 各種競技 登山 遊戯 スポーツ用具」という範疇をあらわす【運】という記号が附されている。『日本国語大辞典』には次のようにある。
アスリート〔名〕({英}athlete )《アスリーツ・アスレート》競技者。スポーツマン。*新らしい言葉の字引〔1918〕〈服部嘉香・植原路郎〉「アスリーツAthlets (英)運動競技者」*モダン語漫画辞典〔1931〕〈中山由五郎〉「アスリート『運動家』のことであるが、スポーツ・マンと云ふ方が遙に一般的である」
服部嘉香・植原路郎編『新しい言葉の字引』は1918(大正7)年10月10日に出版されているので、『モダン新語辞典』よりも13年はやい記事ということになる。筆者は、この『新しい言葉の字引』の「訂正増補」版を所持している。筆者の所持している本の奥付によれば、大正8年2月15日に十一版がでて、大正8年4月5日に「訂正増補十二版」が発行されている。つまり、『新しい言葉の字引』の十二版からが「訂正増補」版ということになる。そして筆者が所持しているのは、1919(大正8)年9月1日に発行された「訂正増補廿二版」である。
筆者所持本の冒頭には「第十二版序(訂正追加)」が置かれていて、そこには「初版発行の際、誤植・誤記等、訂正を要すべきもの多きに気はついたが、余り矢継早に版を重ねるため、その遑もなく、今、十二版を出すに際して、漸く素願の一部を達する事が出来た。即ち、誤植を改め、説明に補充訂正を加へ、更に、以前に脱漏したもの、初版発行後に出現した新語を、かなり遺憾なく蒐集して巻末に附する事にした。星野半四郎氏外二三氏より、主として専門語の誤謬につき、叱正を与へられたのは、編者の特に感銘する所である」と述べられている。
上には「誤植を改め、説明に補充訂正」を加えたこと、「初版発行後に出現した新語」を「巻末に附」したことが述べられているが、見出しの削除については述べられていない。『日本国語大辞典』が見出し「アスリート」の用例として示している『新しい言葉の字引』の「アスリーツ」は、この「訂正増補」版には見当たらない。なお、筆者の見落としではないかと思わないではないが、現時点では当該見出しを見つけることができていない。もちろん巻末の「新語」の中にもない。これが筆者の見落としでないならば、大正7年版にはあった見出し「アスリーツ」が大正8年の「訂正増補」版にはないということになる。これはその間の、日本語のありかたを反映した結果なのだろうか。ひとまず疑問としておきたい。
もう1つ思うことは、『日本国語大辞典』が用例としてあげている「モダン語漫画辞典」が「アスリート」は「運動家」のことをいうが、「スポーツ・マン」のほうが「遥に一般的である」と説明していることである。1つの辞書の説明をそのまま認めることはできないが、少なくとも「アスリート」「スポーツマン」という2つの語があったことは疑いがない。筆者の感覚では、「運動家」は自身で使ったことのない語、「スポーツマン」はよく見聞きした語、「アスリート」は最近になってひろく使われるようになった語だ。
『朝日新聞』の記事に検索がかけられる「朝日新聞クロスサーチ」を使って「アスリート」に検索をかけると、1924(大正13)年11月10日の東京版の3ページの第2段がヒットする。そこには「熱心ねつしんな都下とかのカレヂアン・アスリーツは四十名めい許ばかり集あつまつて」とある。「朝日新聞クロスサーチ」によって正確な文字列検索ができるのは1985年の記事からで、それまでの記事においては、記事に附けられたキー・ワードに検索をするようになっていると思われ、この記事より遡った記事に「アスリート/アスリーツ」が使われていないかどうかはわからない。しかしとにかく、大正13年の記事に「アスリーツ」が使われていることは確認できた。
では1985年以降の記事に検索をかけてみるとどうだろうか。検索すると9814件がヒットし、もっとも古い記事としては、1988年1月1日の記事がヒットしている。(編集部注:原稿執筆当時のヒット数)そこには「ベン・ジョンソン--。オリンピックイヤーを迎えていま、世界のトップ・アスリート(競技者)たちの中で、最も注目されている選手だろう。ジャマイカ生まれでカナダ国籍の26歳。9秒83の世界新記録で100メートルをかけ抜けたことから人生を変えた20世紀のシンデレラボーイ」とある。「アスリート」のうしろに「競技者」と添えられており、まだ「アスリート」という語がひろく使われていないことを思わせる。
「スポーツマン」で検索をかけると、1996件がヒットし、2022年の記事もあるので、「スポーツマン」は現在も使われてはいる。(編集部注:原稿執筆当時のヒット数)しかし使用は減少しているようにみえる。厳密にいえば、入れ替え可能な場合において、「スポーツマン」と「アスリート」とどちらが使われているかというみかたをする必要がある。すぐに思うことは「スポーツマン」は「マン」がついているということで、女性には使いにくい。
1959年から1963年まで『週刊少年サンデー』で連載されていた、寺田ヒロオの「スポーツマン金太郎」という漫画があった。この作品は第一回の講談社児童まんが賞を受賞しているが、金太郎と桃太郎が王や長嶋と対決するというおもしろい漫画だった。