『日本国語大辞典』をよむ

第99回 運動とスポーツ

筆者:
2022年10月23日

1931(昭和6)年10月25日に出版された、早坂二郎、松本悟郎共編『モダン新語辞典』(浩文社)の第七版(1935年5月10日刊)に目を通していたら「アスリート(athlete)」という見出しがあった。「運動家、スポーツマン」と説明されている。この『モダン新語辞典』は収録されている語彙を38の範疇に分け、「系統索引記号」(凡例)を附しているが、「アスリート」には「運動 各種競技 登山 遊戯 スポーツ用具」という範疇をあらわす【運】という記号が附されている。『日本国語大辞典』には次のようにある。

アスリート〔名〕({英}athlete )《アスリーツ・アスレート》競技者。スポーツマン。*新らしい言葉の字引〔1918〕〈服部嘉香・植原路郎〉「アスリーツAthlets (英)運動競技者」*モダン語漫画辞典〔1931〕〈中山由五郎〉「アスリート『運動家』のことであるが、スポーツ・マンと云ふ方が遙に一般的である」

服部嘉香・植原路郎編『新しい言葉の字引』は1918(大正7)年10月10日に出版されているので、『モダン新語辞典』よりも13年はやい記事ということになる。筆者は、この『新しい言葉の字引』の「訂正増補」版を所持している。筆者の所持している本の奥付によれば、大正8年2月15日に十一版がでて、大正8年4月5日に「訂正増補十二版」が発行されている。つまり、『新しい言葉の字引』の十二版からが「訂正増補」版ということになる。そして筆者が所持しているのは、1919(大正8)年9月1日に発行された「訂正増補廿二版」である。

筆者所持本の冒頭には「第十二版序(訂正追加)」が置かれていて、そこには「初版発行の際、誤植・誤記等、訂正を要すべきもの多きに気はついたが、余り矢継早に版を重ねるため、その遑もなく、今、十二版を出すに際して、漸く素願の一部を達する事が出来た。即ち、誤植を改め、説明に補充訂正を加へ、更に、以前に脱漏したもの、初版発行後に出現した新語を、かなり遺憾なく蒐集して巻末に附する事にした。星野半四郎氏外二三氏より、主として専門語の誤謬につき、叱正を与へられたのは、編者の特に感銘する所である」と述べられている。

上には「誤植を改め、説明に補充訂正」を加えたこと、「初版発行後に出現した新語」を「巻末に附」したことが述べられているが、見出しの削除については述べられていない。『日本国語大辞典』が見出し「アスリート」の用例として示している『新しい言葉の字引』の「アスリーツ」は、この「訂正増補」版には見当たらない。なお、筆者の見落としではないかと思わないではないが、現時点では当該見出しを見つけることができていない。もちろん巻末の「新語」の中にもない。これが筆者の見落としでないならば、大正7年版にはあった見出し「アスリーツ」が大正8年の「訂正増補」版にはないということになる。これはその間の、日本語のありかたを反映した結果なのだろうか。ひとまず疑問としておきたい。

もう1つ思うことは、『日本国語大辞典』が用例としてあげている「モダン語漫画辞典」が「アスリート」は「運動家」のことをいうが、「スポーツ・マン」のほうが「遥に一般的である」と説明していることである。1つの辞書の説明をそのまま認めることはできないが、少なくとも「アスリート」「スポーツマン」という2つの語があったことは疑いがない。筆者の感覚では、「運動家」は自身で使ったことのない語、「スポーツマン」はよく見聞きした語、「アスリート」は最近になってひろく使われるようになった語だ。

『朝日新聞』の記事に検索がかけられる「朝日新聞クロスサーチ」を使って「アスリート」に検索をかけると、1924(大正13)年11月10日の東京版の3ページの第2段がヒットする。そこには「熱心ねつしんな都下とかのカレヂアン・アスリーツは四十名めいばかり集あつまつて」とある。「朝日新聞クロスサーチ」によって正確な文字列検索ができるのは1985年の記事からで、それまでの記事においては、記事に附けられたキー・ワードに検索をするようになっていると思われ、この記事より遡った記事に「アスリート/アスリーツ」が使われていないかどうかはわからない。しかしとにかく、大正13年の記事に「アスリーツ」が使われていることは確認できた。

では1985年以降の記事に検索をかけてみるとどうだろうか。検索すると9814件がヒットし、もっとも古い記事としては、1988年1月1日の記事がヒットしている。(編集部注:原稿執筆当時のヒット数)そこには「ベン・ジョンソン--。オリンピックイヤーを迎えていま、世界のトップ・アスリート(競技者)たちの中で、最も注目されている選手だろう。ジャマイカ生まれでカナダ国籍の26歳。9秒83の世界新記録で100メートルをかけ抜けたことから人生を変えた20世紀のシンデレラボーイ」とある。「アスリート」のうしろに「競技者」と添えられており、まだ「アスリート」という語がひろく使われていないことを思わせる。

「スポーツマン」で検索をかけると、1996件がヒットし、2022年の記事もあるので、「スポーツマン」は現在も使われてはいる。(編集部注:原稿執筆当時のヒット数)しかし使用は減少しているようにみえる。厳密にいえば、入れ替え可能な場合において、「スポーツマン」と「アスリート」とどちらが使われているかというみかたをする必要がある。すぐに思うことは「スポーツマン」は「マン」がついているということで、女性には使いにくい。

1959年から1963年まで『週刊少年サンデー』で連載されていた、寺田ヒロオの「スポーツマン金太郎」という漫画があった。この作品は第一回の講談社児童まんが賞を受賞しているが、金太郎と桃太郎が王や長嶋と対決するというおもしろい漫画だった。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。