漢字の現在

第57回 違う場所での「函」の形

筆者:
2010年2月4日

いつも通り過ぎていた駅がある。沼津、三島と来宮、熱海の間にある「函南」だ。その2字と「かんなみ」という読みを見聞きするに付け、この地名の漢字の表記はどうしてだろう、「なみ」は音読みからかな、訓読みからかな、などとその由来にしばし思いを馳せ、また駅の看板に記された「畑毛温泉」を車窓から撮りながら、「畑」に「毛」が付く理由を想像するくらいだった。

しかし、北海道で一旦、「函」の字の形を気にしだしてから(第48回第49回)、俄然、この通過駅も気になる存在となった。この区間の正月の東海道本線は、車両が短く、やけに混雑している。降りる人もまばらなその駅に初めて降り立ってみた。

正月だからなのか人の少ない町をカメラ片手に歩くと、古びた看板から「函」という字が目に入り始める。公的な施設では、手書きの看板でも「函」がほとんどであった。その他の既存のパソコンフォントのたぐいを用いた看板や掲示でも、「函」がほとんどである。意識する場面もあるのであろうが、ほとんどは自然にそうなっているのだろう。

そもそも「凾」と中身が大幅に変わればともかく、「函」が了型になろうがなるまいが、一般にはほとんど気にされてこなかった。その証拠に、すでに述べたように「函」にさんずいの付された「涵養」の「涵」は、かの『康煕字典』でも「了型」であった(さらに点々の角度もだいぶ異なる)。「凾」はさすが俗字とされるだけのことはあって、書きやすい了型となって辞書に載っている。

北海道とは、遥かに離れたこの東海の地ではあるが、そこで実際に書かれている字体はやはり揺れていた。とりわけ、「函」と「了型の函」とが併用されている看板が2つあったことが気になった。

「函」は丸ゴシック体というかナール体のような書体で描かれたデザイン文字、「了型の函」は筆字のようだ。なるほど、ここまでの考察に合う基本的ともいえる現象だ。字体の分岐の原因は、もう繰り返すまでもなく、うかがえるであろう。

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もう一つの看板は、もはや文字が消え失せそうな古びたものであるが、駅前に立っていた。大きい字がやはり丸ゴシック体というかナール体風のレタリングで「函」、小さい字もナール体風であるが、「了型の函」と分かれている。これは、字体が分かれた原因が判然としない。変字(かえじ)法というには表現意図も感じられず、やや大げさであろう。大きい字であり、かつ1回目なのできちんと書こうとし、2回目は小さい字だし、力を抜いて楽に書いたものが、そのままデザイン文字として残ったということだろうか。

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この地では、例えば手紙の住所欄では、どの字体がよく書かれているのだろう。一般的には、めったに使われない「函」の字だが、「函」と「了」型との現れる割合には地域による差があると感じている。学生たちの手書き文字でも地名にこの字を使う地では、「了」型が多い。

地元の表札を含め、日常の中で書かれ、目にするいくつもの了型の「函」を確かめて、駅舎に戻ろうと坂道を登っていたら、子連れのお母さんが、カメラ片手の見知らぬ余所者に、「こんにちは~」と明るく挨拶をしてくれた。何もなさそうな所、と近隣の人たちからもいわれる場所だ。たしかに観光の目玉になりそうなものも特にないような、自然の中の住宅地である。しかし、人々の暮らしは、その地名の字体を変えるほどに確かに息づいていることを感じるには十分な途中下車となった。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究により、2007年度金田一京助博士記念賞に輝いた笹原宏之先生から、「漢字の現在」について写真などをまじえてご紹介いただきます。