いつも通り過ぎていた駅がある。沼津、三島と来宮、熱海の間にある「函南」だ。その2字と「かんなみ」という読みを見聞きするに付け、この地名の漢字の表記はどうしてだろう、「なみ」は音読みからかな、訓読みからかな、などとその由来にしばし思いを馳せ、また駅の看板に記された「畑毛温泉」を車窓から撮りながら、「畑」に「毛」が付く理由を想像するくらいだった。
しかし、北海道で一旦、「函」の字の形を気にしだしてから(第48回・第49回)、俄然、この通過駅も気になる存在となった。この区間の正月の東海道本線は、車両が短く、やけに混雑している。降りる人もまばらなその駅に初めて降り立ってみた。
正月だからなのか人の少ない町をカメラ片手に歩くと、古びた看板から「函」という字が目に入り始める。公的な施設では、手書きの看板でも「函」がほとんどであった。その他の既存のパソコンフォントのたぐいを用いた看板や掲示でも、「函」がほとんどである。意識する場面もあるのであろうが、ほとんどは自然にそうなっているのだろう。
そもそも「凾」と中身が大幅に変わればともかく、「函」が了型になろうがなるまいが、一般にはほとんど気にされてこなかった。その証拠に、すでに述べたように「函」にさんずいの付された「涵養」の「涵」は、かの『康煕字典』でも「了型」であった(さらに点々の角度もだいぶ異なる)。「凾」はさすが俗字とされるだけのことはあって、書きやすい了型となって辞書に載っている。
北海道とは、遥かに離れたこの東海の地ではあるが、そこで実際に書かれている字体はやはり揺れていた。とりわけ、「函」と「了型の函」とが併用されている看板が2つあったことが気になった。
「函」は丸ゴシック体というかナール体のような書体で描かれたデザイン文字、「了型の函」は筆字のようだ。なるほど、ここまでの考察に合う基本的ともいえる現象だ。字体の分岐の原因は、もう繰り返すまでもなく、うかがえるであろう。
もう一つの看板は、もはや文字が消え失せそうな古びたものであるが、駅前に立っていた。大きい字がやはり丸ゴシック体というかナール体風のレタリングで「函」、小さい字もナール体風であるが、「了型の函」と分かれている。これは、字体が分かれた原因が判然としない。変字(かえじ)法というには表現意図も感じられず、やや大げさであろう。大きい字であり、かつ1回目なのできちんと書こうとし、2回目は小さい字だし、力を抜いて楽に書いたものが、そのままデザイン文字として残ったということだろうか。
この地では、例えば手紙の住所欄では、どの字体がよく書かれているのだろう。一般的には、めったに使われない「函」の字だが、「函」と「了」型との現れる割合には地域による差があると感じている。学生たちの手書き文字でも地名にこの字を使う地では、「了」型が多い。
地元の表札を含め、日常の中で書かれ、目にするいくつもの了型の「函」を確かめて、駅舎に戻ろうと坂道を登っていたら、子連れのお母さんが、カメラ片手の見知らぬ余所者に、「こんにちは~」と明るく挨拶をしてくれた。何もなさそうな所、と近隣の人たちからもいわれる場所だ。たしかに観光の目玉になりそうなものも特にないような、自然の中の住宅地である。しかし、人々の暮らしは、その地名の字体を変えるほどに確かに息づいていることを感じるには十分な途中下車となった。