もうすぐ中学生になる次男は、これまでにじっと止まっているポニー、韓国の済州島の馬に乗ってきたので、大人の背丈ほどもある馬に挑戦させる。自分の名前がカタカナの馬名の中に入っている白馬に親しみを覚えていたが、その隣の馬になった。
怖じ気づいていたが、準備が進むと覚悟を決めて乗馬した。プロの方が横にちゃんと着いてくれているので安心だ。
何周か回って記念撮影をした後に、切った人参をあげてみる。おねだりの仕方が一頭ごとに違っていて、この時ばかりは馬の人気者になった。家で飼いはじめたジャンガリアンというハムスターと、大きさは違いすぎるが食べ方はよく似ている。人参は、甘いのでおやつかデザートのようなものだそうで、大きな音をたてて噛む。人参好きは兎と同じで、漫画のようによく食べた。
お会計の時に、領収書に内訳を書き込む前に、施設内の書類に何か○付きの文字を書き込んだのが気になった。手早く机のひきだしの中にしまってしまったそれを再度見せてもらう。何か疑念を抱いた客、と勘違いされかねない不審な要望に戸惑いながらも、見せてくれた。
業界ごとの文字を、趣味というか仕事というか、調べていまして、と話すと、大学かどこかで?と得心してくださったようで、その用紙の写真まで撮らせてくれた。前のページもめくらせてもらった。
「○に保」は保険の意味、奥さんは○がなく「保」だけしか書かないという。「レンタル」を奥さんは「レ」としか書かない、分かりゃいいから、と笑う。どちらが記入したかがそれで分かりそうだ。この日常の表記が、業界の文字なのか、いや個人文字なのか、興味が尽きない。
「厩舎」の「厩」はもとは「廏」だったために異体字が多くできたのだが(かつて朝日新聞を調べたときには、ちょうどそのことが記事になったために、7種類ほどが紙面に表れていた)、どれも煩瑣だ。先の表示板では「」と略されていた。「」という位相文字が競馬業界の人々や大学の馬術部員などの間の手書きの場面で広まっているのだが、別れの挨拶をした後で思い出したので、それも伺えば良かったと少し後悔する。
伊豆の山々は、子供も「絶景」という。切り立った崖がそびえるところも壮観だ。
いよいよ「河津七滝(だる)」の入口に着く。「水垂」という地名だが、それは「ミズタレ」と読む(前々回)。
30から40分の行程という。下り道とはいえ、階段や吊り橋があるとは聞いたが(知っていたら、老母を連れていくのは断念した)、実際には段数がなかなか多く、遊歩道と呼びうるのどかなところは稀で、年老いた人や大荷物の人は少し大変そうだった。ただ30年程に比べると、山道がかなり整備されているそうだ。
ここでは、「○○滝」はすべて「○○だる」と読む。地元の人たちに確かめると、この地では、タキをタルと呼ぶ、ときまって答える。ただ、普通名詞の「滝」まで「タル」と呼ぶわけではない。運転士とのやり取りを聞いていた子は、「鯉の滝登り」もここでは「鯉のタル登り」というのか、と言うが、もちろん諺にも及んではいない。
奈良時代の「垂水(たるみ)」という語は、現在でもときに語形や表記を変えて方言や地名として各地に残っている。関西のテレビ番組の収録に加わったときに、筒井康隆氏が神戸などの垂水は滝の意かとお尋ね下さった。漫画家の江川達也氏も地名にあるとおっしゃっていた。ただ、こういう場面は編集でカットされるのが常だ。
その「タル」の語が少なくとも江戸時代の頃には、この辺りの方言として使われていて、滝の名となって「滝」という漢字がやがてあてがわれたのであろう。
「滝」は、中国では固有名詞(音はソウ)のほか、ロウと読めば急流を指すことがあった。そのため、日本でも古くは急流を意味したタキという訓が付与され、和語の語義が急流から崖を下るような瀑布へと変化して、国訓となったものだ。
穏やかに見える流れもあれば、激しくしぶきを立てる滝もある。川の水の色を変えるきれいな一帯もあった。この流れの中に「鮎」などの魚や「ズガニ」という蟹が住むとは想像しにくいが、それらの文字を何度か目にした。