この地の7つの滝の中でいちばん大きな滝である大滝(おおだる)は、落石があって、今は見られないとのことだった。踊り子の像も、母の古い記憶の通りにあった。川端康成は、伊豆の観光業にもたらした功績も実に大きい。伊豆に宿泊し、また住居を構えた文士たちの遺産があちこちにある。
熱海には、文机に傷を付けては苦しみ、熟字訓や造字などに至る彫琢を一字一句に凝らした尾崎紅葉も足跡を残している。「金色夜叉」を読んだことがない人でも、貫一、お宮の像を見ると名台詞とともに感慨に耽ったものだが、最近、大学生たちには知らないという人が増えてきた。いまは文学史で少し覚える程度なのかもしれない。
河津七滝は、吊り橋と階段が続き、もう川辺を歩くのは十分だった。「七滝温泉ホテル」を含め、ここでは「滝」ばかり書かれているため、旧字体の「瀧」は「ダル」(タル)という読みには合わないような気がしてきた。
途中のトイレ近くの説明板に、「小水力発電」とあった。ちょっと考えて「小・水力発電」と解釈できたが、トイレという空間的な文脈のせいで、異分析をしてしまう人もいることだろう。とくに看護師さんあたりは、読み取り間違えが多いのではなかろうか(いや、かえって「尿」という字のほうになじみがあるか)。側には、その発電をする新しい水車があった。小学生は、本物の水車は初めて見たと言う。
6つの滝を堪能したあと、足休めのために食堂に入る。「わさび」(ワサビ)や「猪」という字がいくつも目に入る。せっかくなので、挑戦してみる。
ジュビエの大もとか、猪の肉は昔聞いたとおり引き締まっていて固く、家畜化して品種改良された豚よりも野味があった。そこここにたわわになっていて、安く売っている「みかん」は食後のデザートとして一層甘く感じられる。
店を出ると、「天城峠」の文字が道路標識に見えた。下田まで南下すれば、小地名に「乢」ないし「𡴭」のような地域文字(方言漢字)もあったはずだ。柳田国男は伊豆の地名の「たわ」に「嵶」という中国地方の漢字を当てたこともあった。
タクシーの運転士さんは、名曲「天城越え」はこの辺りを歌っていると話す。「浄蓮の滝(ここはもうタルではなくタキ)」など、挙げる地名にも力が籠もる。60代のその地元訛りを持つ人は、斜面や崖を意味するママという方言は知らないそうで、ガケというとのこと。伊豆の小地名に使われた方言漢字「墹」は、すでに化石化しているようだ。
「おおだる」など滝のことを「タル」と言うとは、この地の人たちが決まって語ることだが、富山県の西の端で生まれ育った母は、ここの「エビ滝(だる)」もエビタキとしか読まない。この「エビ」は何でもカタカナ表記になっているが、昔はどうだったのだろう。この地だから「海老」か。もしかしたら「蛯」もあった可能性があるが、いかんせん河津七滝の歴史については、言及されたものが地名資料にも、町のサイト、観光パンフレットの類にも見当たらない。
そこで、久しぶりに江戸期の『豆州志稿』を、手早くWEBで国文学研究資料館のサイトにある大和文華館所蔵写本により見ていく。すると、巻6に「瀑布」の項目がある。その中で、「大瀑布」「洞山瀑布」の2つの瀑布の字の右側に、「タル」と振り仮名が書き込まれていた。そして前者に関しては、果たせるかな「方言ニタキヲタルト云盖(けだ)シ垂(タルヽ)ノ義也」とも記載されていた。