漢字の現在

第202回 佐賀の地名と姓

筆者:
2012年7月13日

続けて、佐賀市内の生徒さんたちに、漢字の読みを尋ねる。

 「埼」は?

埼

「ざき」と男子中学生の声。「埼」は埼玉(さいたま)の「サイ」でもあるね、というと「あ~」と声が漏れる。「タマ」と書いた生徒さんはそれを連想し、混同したものか。その夜の講演では大人が「たまなし」と書いてきた。クイズ、まるで判じ物だ。

こちらには、神埼郡があり、神埼町(まち)神埼という地名もあった。近年、佐賀市の隣に神埼市が成立した。このカンザキから「埼」をそのまま抜き出すと、たしかにザキが残る。佐賀出身の先生からもうかがっていた。このようにある漢字にパッと浮かぶ読みにも地域差があるようで、東京、埼玉など関東では「埼玉」からそのまま抜き出した「さい」が出やすい(この音便形が塾の名などでも用いられているほか、埼京線も通っている)。埼玉県内の埼玉(さきたま)町、千葉県内の犬吠埼よりも埼玉、「彩の国」埼玉としての知名度が概して高い。佐賀の地では、新潟と石川とを間違えて話されることなどもあったが、本州、とくに関東以北の地理は実感として疎遠なのは当然のことである。玄界灘に出れば、壱岐や対馬の向こうはもう朝鮮半島だ。

「さき」という読みも、神埼市から抜き出して清音に戻したものが多かったのだろう。そう言うと、またウンと女子。「崎」と「埼」の二つあるのは、なんでかと思っていたという地元の方もいらした。両方とも「さき」として使うことが多いためだろう。「崎」が「たつさき」になっているものについても、なぜなのか気になっていたそうだ。こういうことを肩の力を抜いて理解できるように、漢字のもっていた柔軟な性質を日本の人々に再認識してもらえるように広めていく必要はありそうだ。

研究者自身が面白いと思うことと、一般の人が面白いと思うことには、往々にしてズレがあるため、この差に気づき、バランスよく話すことが大切のようだ。むろんその場の雰囲気に迎合しようと、妥協だけしてもいけない。また、異なる日常を過ごす方々に伝わることばを持ち得ているかどうか、これも重要のようだ。ことばや文字を載せるメディアごとの特性を考えて、研究していることを人々に伝える努力は必要なことだと思う。

「地」などの「土偏」を佐賀ではアゲツチ(ヘン)と呼ぶ、ということは帰ってきた後で知った。佐賀出身の先生にうかがうと、確かにアゲツチヘンと言うとのことで、3画目を上に(はね)上げているためだそうだ。部首やその変形の名称には、中国と日本とで歴史があるのだが、こうした個々の地域名の起こりと関わらせて研究すると、新たな発見がありそうだ。

日本で多いと思う姓ベスト3は何だと思うかな?

まだ決して広くはない世界で暮らしてきた子どもたちには無理もない。日本で、と問うたが、「古賀」を1位として挙げる子がいる。「砂とう」を1位にした子もいた。これは、知識として「サトウ」が多いという記憶があったが、周りに「佐藤」がほとんどいないために、身近にある「砂糖」と混同が起こった結果の表記か。「中島」が2位、「松本」が2位という生徒、さらに「副島」が3位、「山口」が3位という生徒もいた。「山埼」が3位と書いたのは、先の神埼市という地名が影響したものか(単に問いが影響したのかもしれない)。

日本で多い姓ベスト3の知識ないし意識は、関東では、

 佐藤 鈴木 高橋

といったものがよく挙がる。「田中」も思い浮かぶが、「山田」はいそうでいない、なんて気付いている人もいる。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。