佐賀では、日本全体で多い「佐藤 鈴木 高橋」といった姓は、とても少ないのだそうだ。九州では、大分がやや関東風の姓の地区であるが(方言も九州色が薄い)、これらの姓は東日本に人口が集中していて、順位を上げているのだ。
佐賀の七賢人とよばれる人たちにも、「江藤」「副島」「大隈」と、佐賀に多い姓とその漢字が集約されていた。佐賀では、「○武」「江○」「副○」「○副」というパターンが多い。「副島」は、福島という姓や地名からの類推が働きやすい関東では、フクシマと読まれることさえある。「源五郎丸」などの「○丸」も特徴的だ。「隈」という字もよく使われる。早大では、あまり周りの仲間に使われていないせいか、「大隈重信」を「大隅重信」などと書き間違える学生もいないわけではない。
「江」は、「江口 江藤 江頭」など、確かに目立つ。多用されている「副」と合わさった「江副」もまた多い。なるほど言われてみればあれこれつながってくる。芸能界で活躍する人たちにも、九州北部に特徴的な顔立ち、形質、気質というものが思い浮かぶことがある。なお、江崎グリコも、この地の出身の創業者の姓を社名に入れたものだった。芸能人の、江頭2:50も佐賀出身である。
「えがしら」はよその地では、「えとう」に読み変えられることもあるそうだ。こうした佐賀の大姓を指摘してみると、確かに県職員などでは知人に何人もいるそうだし、生徒同士でも、指差したりもしていた。伝統的な方言が薄れる中、今なお顕著に伝わる「土地の手形」が姓名なのだ。江戸の昔から、人口の移動は、思いのほか小さい。
田中 山口 山田
簡単な姓ばかりを挙げる生徒も珍しくない。長崎、福岡の大姓などと類似性もある。西日本らしさもよく現れている。国字の「辻」も、各種の集計ではベスト70以内とされる。
社会人では、「松尾山口犬の糞」と書いた方もいらした。東北でも「佐藤斎藤犬の糞」と言い放った教員が都内の中学にいた。
「さいしょ」「ごうりき」と何度も声が挙がるのは、わざと珍名を言っているだけか。もしも力強いイメージの「剛力」ならば、芸能人で有名となったもので、静岡辺りからの稀姓か。「最所」が「さいしょ」だそうだが、岡山の地域文字を使った「所」と、漢字を用いた「税所」とが混ざった表記ではなかろうか、と思えてくる。岡山のこの地域文字は、JIS第2水準に入れる際に、禾偏が木偏に間違って写されてしまい、まず使われない「樶」となって、JIS漢字表に入ったために、落ちてしまっていたと推測している。同様の例が、佐賀にあったのだ。それが先に述べた「うつぼ」である。
文字を用いる環境が、個々人の意識や知識を形成するのだ。大学では、名字は「黒木」が日本一多そうだ、と答えた女子学生は、やはり宮崎出身だった。また、「新井」が多いという意識は、埼玉で見られた。歯科医の佐久間英氏の調査に拠れば、確かにかつては、埼玉一の人口を誇ったとされる。しかし、ベッドタウン化が進み、人口が県内に流入した結果、とくに県南部では密度が薄まってしまった。
生徒さんたちは皆、世間を知っていく最中であり、多くの人と出会いながら成長しつつある。ブラックモンブランという飲み物は、佐賀ではコンビニでも置いてあり、日本中にあると、この地では誰もが思い込んでいるそうだ。同じことが、姓の分布や気付かない方言にいえる。
授業後、男女の先生が、「咾分」(おとなぶん)は、川副(かわそえ 濁らないそうだ)町で、バス停にもなっていると教えに来て下さった。こうしたものは、大人ならば社会生活の中で必要性があれば自然に覚え、空気のような存在となるのだ。「吉野ヶ里」の「ヶ里」や「ケ里」も、この地の特色ある地名のタイプだ。「鐘ヶ江」など「ヶ江」という地名は姓にもしばしば見られた。「南里」(なんり)は、姓だけでなく地名にもあった。地名、人名、方言、そして漢字は、授業でも、講演会でも、その打ち合わせでも話題が尽きない。