「非言語行動」と私が呼ぶものの中には、厳密には行動というより姿勢と呼ぶ方が正しそうなものも含まれている。だが、キャラクタとの結びつきが見られる点は、やはり変わりがない。つまりキャラクタによって、得意な姿勢と、そうでない姿勢がある。
前傾姿勢で机に両肘をつく。両手の手のひらを、拝むように口の前で合わせる。その状態から、手のひらの下を少し離すと、左右の手は弓なりに反り返り、指先だけで触れ合うことになる。親指の先が触れ合っているその上で、他の指の先が触れ合い、「A」という文字に似た形が口の前にできあがっている。この状態でものを言う、あるいは他人の話を聞くということが日本語のコミュニケーションには時折見られる。私がひそかに「両手肘つきA字合わせの姿勢」と呼んでいるのはこの姿勢である。
さいとう・たかを氏の『ゴルゴ13』第108巻(リイド社、小学館 pp. 178 - 179.)では、山岸という商社の常務がかつての仲間・藤堂との密談の中で、この両手肘付きA字合わせの姿勢をおそらく2回とっている。
まずは、南沙諸島の海域の領域化に各国がやっきになっている背後の事情を藤堂に語る場面である。石油かと藤堂に言い当てられた山岸は、「そうだ、インドシナ半島付近だけで現在の世界需要の五十年分とも、百年分ともいわれる海底油田だ。南沙諸島全域では、どれだけの量になるのか、見当もつかない!」と答えるコマがある。ここで私たちは、山岸の完全な両手肘付きA字合わせの姿勢を見ることができる。
そしてそのしばらく後には、山岸が或る資金について「それが……“G資金”だというんだ!」と、ゴルゴ13の関与を匂わすコマがある。顔をなでたり振り上げられたり、肩幅ぐらいに広げられたりと、それまで忙しく動いていた山岸の両手はここで再び反りぎみに伸び、口の前あたりで「A」の頂点を作るべく数センチの距離に近付いている。両手肘付きA字合わせの姿勢に入る直前の状態をとらえた貴重な画像と言うべきだろう。もっとも、山岸が両手肘付きA字合わせの姿勢に入ったところは描かれていないので、本当にこの姿勢になったかどうかはわからない。上で「おそらく2回」と述べたのはこの意味である。
『サザエさん』のタラちゃんや、『天才バカボン』のママは、こんな姿勢でものを言うことはない。両手肘付きA字合わせは『大人』、それもそれなりの権威を持った『おじさん』の姿勢である。だが、それがなぜなのかはわからない。というのは、そもそも両手肘付きA字合わせとはどういう意味なのか、日常そう珍しくない姿勢であるにもかかわらず、私たちはよくわかっていないからである。この姿勢をとっている『おじさん』たちにたずねてみても、『おじさん』たちは「よくわからない」と言うだろう。自分は何かを表現したり伝達したりするためにこの姿勢をとっているわけではない。「自然に」そういう姿勢になっているだけだと言うだろう。
つまり両手肘付きA字合わせの姿勢は、『おじさん』という特定のキャラクタの姿勢だが、たいていのところ表現意図や伝達意図とは結びつかない、『おじさん』の自然な「たたずまい」でしかない。キャラクタはスタイルとは異なり、意図を前提としないから(特に第2回・第3回・第4回を参照)、これでいいのである。
ちなみに、両手肘付きA字合わせは、両手を握りしめて顎の下に持っていくと、「まあ!」と驚く『娘』の驚き行動という、まったくの別物になってしまうので、日本語学習者は注意が必要かもしれない。
えっ、『週刊文春』3月26日号(創刊50周年特別号)の特集「ベストオブ「顔面相似形」50」の中で、石破茂氏がまさにそれをやっているって? う~ん。。。