「百學連環」講義の開口一番、西先生が、そもそも「百學連環」とはなんぞやということを解説しているところでした。続きを読んでゆきましょう。
法律などの学術は、先生が口伝えで教えるものだけれど、Encyclopediaについてはそういうことはない。そのように前置きした上で、講義はこう続きます。
然れとも英國にEncyclopedia of Political Scienceなるものありて、即ち口授するの教へあり。故に今之に倣ふて淺學の輩を導かむと欲する余か創見に出る所なり。
(「百學連環」第1段落第4-5文)
現代語訳を添えてみます。
しかしながら、イギリスにはEncyclopedia of Political Scienceというものがあって、これは口授するものである。そこで私もこれに倣って、入門者の手引きをする新たな試みに着手しよう。
少ないながら前例はある。自分もこの新しい試みに続こうではないか、という次第。ヨーロッパで最新の学術を身につけて帰った西先生の気概のようなものを感じます。
ときに今日、Encyclopedia of Political Scienceと聞けば、『政治学百科事典』を連想するところ。実際、いまでも同名の堂々たる大事典が刊行されています。しかし、西先生の言うところでは、Encyclopedia of Political Scienceなる講義が行われていたようなのです。
顧みると、大学において政治学(Political Science)という学術領域が独立したのは、19世紀のことでした。そう、独立した学術としての政治学は、比較的新しいものなのです。ただし、それまで政治学がなかったという意味ではありません。それこそ古典ギリシアの時代から、政治学は学術の重要なテーマの一つであり続けてきています。ただ、大学で独立した領域として認められるまでは、法律や歴史の研究として行われていたようです。
私がこのことを教えられたのは、『ヨーロッパ大学史(A History of the University in Europe)』第3巻(Edited by Walter Rüegg, Cambridge University Press, 2004)という書物でした。この大きな書物は、中世から第二次世界大戦までのヨーロッパの大学とそこで行われていた学術の歴史を辿るもので、「百學連環」の背景となる欧米学術を知るうえで恰好の文献です。同書によれば、ケンブリッジ大学に政治学の講座がつくられたのは、20世紀も四半世紀を過ぎた1927年のこと。
他方で西先生が「百學連環」を講義しているのは、1870年(明治3年)ですから、もう少し早い例はないかと探してみると、ありました。1880年にアメリカではじめて、コロンビア大学に政治学科が開設されています。その件で尽力した人物に、ジョン・ウィリアム・バージェス(John William Burgess, 1844-1931)がいます。彼は、「アメリカ政治学の父」と呼ばれる政治学者です(ウェブサイト COLUMBIA250掲載のバージェス紹介文より)。
面白いことに、バージェスの著書『政治学と比較憲法学(Political Science and Comparative Constitutional Law)』(Ginn & Company, 1890)を覗くと、政治学(Political Science)という考え方の源流は、別の場所にあるらしいことが分かります。
政治学とは、比較研究である。この学問は、自然科学の領域で非常に生産性を発揮してきた方法を、政治学と法律学に適用してみようと試みるものだ。とはいえ、こうしたやり方は、なにも私の創見ではない。もっぱらドイツの公法学者が使っている手法だ。他方で、フランス、イギリス、アメリカでは、比較的新しい試みと言えよう。
バージェス自身は、テネシー生まれですが、彼はドイツに留学して、ゲッティンゲン、ライプツィヒ、ベルリンの大学に学んでいますから、実体験に根ざした見立てなのでしょう。ついでながら、同書は、明治末期に高田早苗と吉田己之助によってジョン・ダブリュー・バルジェス著『政治學及比較憲法論』として邦訳されています(国立国会図書館近代デジタルライブラリーで読めます)。
さて、バージェスによる政治学科創設が1880年で、政治学(Political Science)を論じた著作が1890年でした。先ほども述べたように、西先生の講義は1870年ですから、その頃にはすでにEncyclopedia of Political Scienceなる講義がイギリスで行われていたというわけです。
この件については、もう少し材料がありますので、「いまのところ、(私には)ここから先は分からない」というところまで進めておきたいと思います。
*
即=卽(U+537D)
*