「百学連環」を読む

第15回 「政治学エンサイクロペディア」の正体

筆者:
2011年7月15日

「百學連環」講義の第4文にあらわれるEncyclopedia of Political Scienceという言葉に足を止めていました。

というのも、西先生がちょっと気になることを述べていたからです。つまり、エンサイクロペディア(Encyclopedia)は通常、口授されることがないものだけれど、Encyclopedia of Political Scienceという講義については前例があるというのです。エンサイクロペディアといえば、いまでは半ば自動的に「百科全書」「百科事典」と訳されるように、もっぱら書物を連想しがちです。しかし、書物だけでなく講義があったというわけです。

そこで前回は、アメリカの政治学者、ジョン・ウィリアム・バージェス(John William Burgess, 1844-1931)が、Political Scienceという考え方をドイツから借り受けてきた次第を確認しました。自然科学(Natural Science)に倣ったという点を汲めば、「政治科学」と訳してもよいでしょう。バージェスは、西先生(1829-1897)の同時代人でもあります。

同じように文献を探ってゆくと、どうやらEncyclopedia of Political Scienceなる科目があったということが見えてきます。今回は、その内実を確認してみたいと思います。

アメリカの社会学者、ウィリアム・グラハム・サムナー(William Graham Sumner, 1840-1910)の証言が有力な手がかりとなります。サムナーは、イェール大学を卒業後、ヨーロッパ各国に留学し、帰国後、アメリカではじめて社会学の講座を持った人です。

サムナーは、1878年にイェール大学で行った「政治学・社会科学コースのための入門講義」のなかで、まさに私たちが知りたいと思っていることを述べています。こんな具合です。

この講義では、経済学あるいは富学、比較政治学、法律学、国際法学、国家論、統治論、そして、こうした諸領域すべての歴史の探究に取り組む。これは、最も広い意味での政治学(political science)であり、今期、学生諸君に対する私の講義で主題としたい。一名Encyclopaedia of Political Scienceというが、この名称はドイツ語から借りてきたものだ。そこでは、この学問の各部門や下位部門、また、それら諸部門同士が互いにどう関係しているかを扱い、領域全体の見取り図をつくり、各部について概要を示し、さらにその先の詳細を学ぶための道筋を準備する。

W. G. Sumner, The Challenge of Facts and Other Essays, 1895, p.395

 

同じ講義のもう少し後のほうでは、Encyclopedia of Political Scienceを、「この〔政治学という〕主題全体の知識にとって基礎となるもの」(前掲同書、p.402)とも説明しています。

このサムナーの説明から、Encyclopedia of Political Scienceというものが、政治学全体を対象として、その各部の概要だけでなく、各部相互の関係を論じる講義であることが分かります。また、それをもってさらに専門的な学術に入ってゆくための基礎教養とするという点も、私たちが確認してきたエンサイクロペディアの原義に適っています。これはまさしく政治学における「百学連環」というべき内容です。

ところで、西先生が言及していたのはイギリスの事例でした。他方、ここで見たのはアメリカの例ですので、そういう意味では間接的な傍証に留まります。後日もし適当な資料に遭遇できたら、19世紀イギリスにおける諸大学のカリキュラムをしらみつぶしに調べあげてみたいと思います。そこにEncyclopedia of Political Scienceを見つけることができれば、この注釈を補強できるはず。ここでは、そもそもEncyclopediaという講義がなされていたという事実を確認できたことで、とりあえず満足しておきましょう。

さて、それはそれとして、もう一つ気になることを追跡しておきたいと思います。バージェスもサムナーも、口を揃えて政治学(Political Science)やEncyclopedia of Political Scienceの出所を「ドイツ」だと言っていました。ドイツで、エンサイクロペディアの講義といえば、どうしても連想せずにはいられないことがあります。次回はそのことを検討してみます。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
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