文明開化を推進したい為政者は、まずこれからの次代を担う柔軟な頭を持つ子どもたちに新しい知識を授けることに力を注ぎました。それが、近代小学校発展の推進力となるわけですが、さて教科書はどうするか、が問題です。それまでの儒学を基盤とする江戸期の往来物(第2回記事も参照)では、西洋に太刀打ちできる新しい日本人は作れません。そこで、文部省は欧米の教科書を原著として、少し日本流にアレンジした翻訳教科書を出版しました。その中で多くの人に影響を与えたのが、日本最初の国語教科書、田中義廉編集『小学読本』(明治6年発行)です。
「凡世界に住居する人に五種あり 亜細亜人種 欧羅巴人種 メレイ人種 亜米利加人種 亜弗利加人種なり 日本人は亜細亜人種の中なり」という書き出しは、鎖国で閉じこもっていた日本人の心に新鮮に響き、酒屋や魚屋の小僧さんまで口にしたほど人気の教科書でした。
この開巻の言葉は新たに書き加えたものですが、これより後、5丁表(9ページ)からはアメリカの『ウィルソン・リーダー』をほぼ直訳した文章が続きます。例えば「See the cat! It is on the bed. It is not a good cat if it gets on the bed.」は「此猫を見よ 寝床の上に居れり これは、よき猫にはあらず、寝床の上に乗れり」といった風です。
そして、面白いのがこの野球のシーン、アメリカの教科書の挿絵と比べてみてください。
バットを持つ子供が3人もいます。それに、ボールも2個飛んでいます。本が出版された明治6年に野球を知る日本人はいないに等しかったでしょうから、書く方も読む方も不自然に思うことはなかったのでしょう。
江戸期の往来物が大人になって役立つ知識をストレートに植え付けようとしたのに比べ、翻訳といえども子どもの目線で書かれた点は画期的なことでした。翌年には改正版が出され、文章も少しこなれてきます。
付録・当館の所蔵品の中には『小学読本』の版木を利用して作られた火鉢があります。
4面に版木がはめ込まれており、前出の猫と野球のページを刷った版木も使われています。本を作るための道具である版木が、実は細かな手仕事で仕上がった工芸品だと気づかされます。内側に銅を張り、意匠的に面白い火鉢に仕上げているところが素敵ですし、摩滅して使えなくなった版木の再利用として、当時からリサイクルの知恵が活かされていたことにも驚かされます。