歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~

第18回 California Dreamin’(1965, 全米No.4)/ ママス&パパス(1965-68, 1971-72)

2012年2月8日
18californiadreamin.jpg

●歌詞はこちら
//lyrics.wikia.com/The_Mamas_%26_The_Papas:California_Dreamin%27

//artists.letssingit.com/the-mamas-and-the-papas-lyrics-california-dreamin-vrp23xd

曲のエピソード

ニューヨークを活動の拠点としていたママス&パパスであるが、中心メンバーのジョン・フィリップスの妻だったミシェル(メンバーのひとり)は、カリフォルニア州ロング・ビーチの出身。新婚当時、ふたりはニューヨークのアパートに住んでおり、カリフォルニア育ちのミシェルは寒さと慣れない土地での寂しさに押しつぶされそうになり、ホームシック状態に陥ってしまう。ある日の夜、曲作りの着想を得ようとアパート周辺をブラブラ歩いていていたジョンは、夜の散歩の途中で曲の出だしのフレーズを思いついた。歌詞の中に登場する“とある教会(a church)”は、信心深いミシェルがニューヨーク在住中に足繁く通ったセント・パトリック聖堂(St. Patrick’s Cathedral/5番街の50丁目と51丁目の間に建つネオゴシック様式の教会)がモデルと言われている。この曲が大ヒットしたためか、はたまたミシェルのホームシックが極限に達したためか、グループはその後カリフォルニアに活動拠点を移した。

曲の要旨

(ニューヨークの)冬は凍てつくように寒く、見上げる空はどんよりと曇り、街路樹の葉っぱはすべて茶色く枯れてしまっている。もしも自分が今カリフォルニアにいたら、どんなにか暖かく心地好いことだろう。気晴らしに散歩に出かけてはみたものの、寒さにはどうしても勝てない。ふと目に飛び込んできた教会で少しでも暖を取ろうと中へ入ったところ、そこも冷え冷えとしているのだった。間の悪いことに、そこには牧師がいる。元来、牧師というものは寒さが平気なんだろうか。こちらは「寒くて入らせてもらいました」とも言えず、形だけ祈りをささげるポーズをとってみる。ああ、心は太陽が降り注ぐカリフォルニアへと飛んでいく…。

1965年の主な出来事

アメリカ: アメリカ軍がヴェトナム戦争で北爆を強化。
  アフリカン・アメリカン指導者のマルコムXが演説中に銃殺される。
日本: いわゆる日韓基本条約が締結される。
世界: インドネシアでクーデターが失敗に終わる。

1965年の主なヒット曲

My Girl/テンプテーションズ
Help Me, Rhonda/ビーチ・ボーイズ
(I Can’t Get No) Satisfaction/ローリング・ストーンズ
Help!/ビートルズ
I Got You Babe/ソニー&シェール

California Dreamin’のキーワード&フレーズ

(a) California dreamin’
(b) I’d be ~ if I was ~
(c) get on one’s knees

まずお断りしておきたいのは、この曲の歌詞が掲載されているサイトによっては、あるフレーズが異なった聞き取りになっている、という点である。よって、上記に2種類のサイトを挙げておいた。その箇所とは、“the preacher”の行為。多数派を占めるのは“牧師は寒いのが好き”という内容のセンテンスだが、動詞の“like”がsなしの現在形だったり、ものによっては過去形の“liked”になっていたりする。他には、それとは正反対の行為と言ってもいい“燃えさしの薪に火をつける(light the coal)”、ちょっとあり得ない聞き取りの“closed the door”なんていうものまで……。英語圏の人々にとっても、ここはかなり聞き取りにくいフレーズとみた。が、前後のフレーズから察するに、“likes the cold”が一番しっくりくると思う。現在形にしたのは、続くフレーズの時制に合わせたため。その方が自然に聞こえる。

この曲の邦題を「夢のカリフォルニア」という。今ならカタカナ起こしの「カリフォルニア・ドリーミン」になるかも知れない。が、筆者の手持ちのコンピレーションCD(1990年代のリリース)では、当時の邦題「夢のカリフォルニア」がちゃんと使われていた。何となくホッとする。これは昔から好きな邦題のひとつだ。

タイトルにもなっている(a)をわざわざキーワードのひとつに選んだのには、それなりの理由がある。子供の頃にFEN(現AFN)で初めて「California Dreamin’」を聴いた時から長年にわたって、そのフレーズに違和感を抱き続けてきたから。だって、おかしいでしょ、これ? 英語を学ぶようになってから、筆者はこの曲を聴く度にいつも以下のような英文に書き換えずにはいられなくなってしまった。

I’m dreamin’ of California.

もしくは、

I’m dreamin’ about being in California.

といった具合に。California + dreamin’ なんて何だか和製英語みたい、と子供の頃から思ってきた。とっさに上手いたとえが思い浮かばないのが何とももどかしいが、例えばこういうのに似ている、と言ったらお解りいただけるだろうか。「ジャパン・ファイティング」(←意味不明)。あ、ダメですか。

“American dream”という言葉があるなら、“Californian dream”という言葉があってもいいのではないか。そうかと言って、この曲のタイトルが「Californian Dreamin’」だったら良かったのに、とは思わない(ちなみに、“Californian”は形容詞でもあり名詞でもある)。それはそれで何となく違和感がある。「今、自分が(ニューヨークの寒空の下ではなく)カリフォルニアの暖かい青空の下にいたらなあ……」という歌詞の内容を考えると、やはりタイトルがいわんとしているのは“I’m dreamin’ of California.”であり、“I’m dreamin’ about being in California.”であるから、それらのセンテンスから“California”と“dreamin’”を安易にくっつけただけの英語らしからぬタイトルだと、勝手にそう思い続けてきた。

どうにもこうにも居心地の悪いタイトルに対する疑問を氷解させてくれたのは、高校時代の恩師(英語教師)の言葉だった。それも、つい最近、恩師と電話で話した時のことである。曰く「名詞+名詞、または名詞+動名詞という組み合わせから成る言葉は、例えばドイツやアメリカなどの民度の高い国の言語ではよくあることだ」と。「ええっ! そうなんですか?!」と驚愕する筆者に、受話器の向こうの恩師は、「…と、私は大学時代(師は早稲田大学の出身)の教授から教わったんだよ」と答えたのだった。仮に「California Dreamin’」の“dreamin’”が動詞の進行形ではなく動名詞だとするなら、そこが歌われている歌詞は「カリフォルニアを夢見ること」ぐらいの意味になるだろうか。そうなると、「夢のカリフォルニア」というのは、じつに的を射た、またとない素晴らしい邦題に思えてくる。

筆者と同業者で呑み仲間でもある某氏に、「California Dreamin’」のタイトルについて抱いてきた長年の疑問を打ち明けたところ、「じつはそういうのが1960年代の空気なんだよ。英語としてどうかというより、ノリ一発のタイトルを付けたんじゃないかな」と軽く受け流されてしまった。確かに、「I’m Dreamin’ Of California」では、かしこまり過ぎていて曲のタイトルには相応しくない。

タイトルの話はこれぐらいにして。

(b)は仮定法であるが、くだけた言い方になっている。正しくは

I’d be ~ if I were

であることは、みなさんも先刻ご承知だろう。「もし私が~なら~なのに」ということを言っているフレーズだ。“if+S+were”の仮定法の主語が一人称または三人称単数である場合、“if+S+was”となるのは特にアメリカ英語にみられるくだけた言い方で、洋楽の歌詞にも頻繁に登場する。英語の授業で仮定法を習った時、みなさんは次のセンテンスを学んだだろうか。

If I were a bird, I would fly to you.(もし私が鳥なら、あなたのもとへ飛んで行けるのに)

ここの“If I were a bird, …”が“If I was a bird, …”となるような例は、知人・友人のアメリカ人が口にしたのを過去に何度も耳にしたが、「もし私が鳥なら、あなたのもとへ飛んで行けるでしょうに」を英作文しなさい、というテストの設問では、“If I was a bird, …”と答案用紙に書いたなら、恐らく×になるのでは……? 少なくとも、筆者が高校生だった頃は、必ず“If I were …”と書かなければ試験でマルをもらえなかった。今はどうなんだろう? 教育現場でくだけた言い回しもアリとするなら、“was”でもマルだろうか。

冬のニューヨークであてもなく散歩に出たこの曲の主人公は、ふと目に留まった教会(a church)で暖を取ろうと思い立ち、中へ入る。そこが“the church”であるなら、主人公が通い慣れた教会だろうし、聴く側(リスナー)との共通認識に基づいた特定の教会を指すことにもなるだろう。が、不定冠詞の“a”が頭に付いているため、「ふと目に留まった」教会、という解釈が成り立つ。そこから先が笑いを誘う。少しの間だけ暖を取ろうと思って入った教会に、思いがけず牧師さんがいたのだ。バツの悪い思いをしたであろう主人公は、場を取り繕うとしてひざまずき(got on my knees)、祈りを捧げるフリをしてしまう。(c)で肝心なのは、“knee(膝)”が複数形であること。これと同義のイディオムとしては、

fall on one’s knees

go down on one’s knees

などが挙げられる。いずれも“ひざまずいて祈りを捧げる”という意味。では、何故に“knee”が単数形ではダメなのか。想像してみていただきたい。片方の膝だけを折り曲げてひざまずく姿は、祈りを捧げるポーズとはちょっと違うことがお判りいただけるのではないだろうか。女性に求愛する男性のポーズ、とでも言えばもっと判りやすいかも知れない。片方の膝を折り曲げてひざまずき、女性に向かって手を差し出しながら崇めるようなポーズをとる男性――神様に向かって祈りを捧げるそれとは、似て非なるものである。

ニューヨークの冬は寒い。筆者は2月の厳寒の候に同地に取材で赴いたことがあるが、露出した顔に針を刺されるような感覚を生まれて初めて味わった。滞在中、「California Dreamin’」の主人公を気取って(?)オフの日にセントラル・パーク周辺を散歩した時、ギョッとする恰好の人物とすれ違ったことが今だに忘れられない。スカートにブーツ姿のキャリア・ウーマン風だったので女性だと判ったのだが、何と彼女は頭からすっぽりと毛糸の目出し帽(銀行強盗などがよく被っている、目と鼻と口の部分だけが開いているマスクのようなもの)を被っていたのである! あれには心底ビックリした。まずは自分で防寒対策をとるのが現代のニューヨーカー流なのだろう。「California Dreamin’」がヒットした1965年暮れから1966年初頭にかけての冬の時期、寒さに耐えきれず毛糸の目出し帽を被るニューヨーカーが果たしていただろうか? 恐らく答えは“No.”であろう。

筆者プロフィール

泉山 真奈美 ( いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

編集部から

ポピュラー・ミュージック史に残る名曲や、特に日本で人気の高い洋楽ナンバーを毎回1曲ずつ採り上げ、時代背景を探る意味でその曲がヒットした年の主な出来事、その曲以外のヒット曲もあわせて紹介します。アーティスト名は原則的に音楽業界で流通している表記を採りました。煩雑さを避けるためもあって、「ザ・~」も割愛しました。アーティスト名の直後にあるカッコ内には、生没年や活動期間などを示しました。全米もしくは全英チャートでの最高順位、その曲がヒットした年(レコーディングされた年と異なることがあります)も添えました。

曲の誕生には様々なエピソードが潜んでいるものです。それを細かく拾い上げてみました。また、歌詞の要旨もその都度まとめましたので、ご参考になさって下さい。