ロック・ヨスト&ベイツ社は、タイプライターの販売以外に、いわゆるコピーサービスもおこなっていました。持ち込みの手書き原稿を、タイプライターを使って打ち直すことで原稿のコピーを作る、というサービスをおこなっていたのです。ただし「Sholes & Glidden Type-Writer」は、あくまで大文字しか打てませんから、大文字だけで打たれたコピーになってしまい、コピーサービスの評判は今一つだったようです。
ロック・ヨスト&ベイツ社は、自社販売のみならず、アメリカ各地にタイプライターの販売代理店を募り、全土に販売網を拡大していきました。当時の販売代理店を、以下にざっと並べてみましょう。
- John W. Bain, Philadelphia, Pennsylvania.
- Blunt & Moury, Goshen, Indiana.
- George G. Frost, Boston, Massachusetts.
- George Gatrell, Marshall, Michigan.
- Hewitt & Co., Washington D.C.
- C. K. Maddox, Atlanta, Georgia.
- F. B. Pickering, Waterloo, Iowa.
- Edward Sholes, Dubuque, Iowa.
- Smith & Clokey, Decatur, Illinois.
- J. Edward Smith, Ashtabula, Ohio.
- Spaulding & Co., Rutland, Vermont.
- Stanton & Davenport, Wheeling, West Virginia.
- Tiffin Tribune, Tiffin, Ohio.
- George H. Webster, Keokuk, Iowa.
- Wyckoff & Rose, Ithaca, New York.
しかし、これらの販売代理店のうち、ウィックオフ&ローズ(William Ozmun Wyckoff & Theodore Cuyler Rose)は多少の売り上げがあったものの、他の代理店は、売れているとはいいがたい状態でした。ちなみに「Edward Sholes」は、ショールズの兄チャールズ(Charles Clark Sholes)の息子で、ショールズにとっては甥にあたりますが、やはり売り上げは伸びなかったようです。
デンスモアとヨストは、さらなる改良がタイプライターには必要だと感じていました。大文字しか打てない「Sholes & Glidden Type-Writer」は、一般使用には向いていないのです。小文字を打てなければ、コピーサービスにすら不十分なのです。デンスモアは、ショールズに改良を依頼しましたが、ショールズはポータブル・タイプライターの開発に傾倒していて、小文字を打てるタイプライターのアイデアは出てきませんでした。一方ヨストは、ブルックリンに住むブルックス(Byron Alden Brooks)のアイデアを聞きつけ、みずからが特許出願書の証人となって、小文字の打てるタイプライターを、デンスモアのもとで特許化しようとしました。しかし、ブルックス本人の意向もあって、ドッジ&サン弁護士事務所を経由してE・レミントン&サンズ社に、この特許(U.S. Patent No. 202923)を譲る羽目になってしまいました。
(ジェームズ・デンスモア(21)に続く)