1889年1月22日、マッガリンは、シンシナティ速記協会(Cincinnati Stenographers’ Association)の招きで、シンシナティのホプキンス・ホールにいました。300人もの観衆の前で、速記とタイプライターのデモンストレーションをおこなうためです。会長のハワード(Jerome Bird Howard)の紹介でステージに現れたマッガリンは、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社のマクレイン(John Fleming McClain)の読み上げで、口述タイピングのトライアルを7回おこないました。この時のマッガリンの最高記録は、毎分118ワードでした。さらにマッガリンは、速記録の清書や、「Now is the time for all good men to come to the aid of the party.」という同じ文章を繰り返し打つトライアルをおこないました。
そして、トローブがステージに呼び出されました。半年前にマッガリンに敗退したトローブが、マッガリンに再戦を挑んだのです。約束通りトローブは「Caligraph No.2」を捨てており、マッガリンと同じ「Remington Standard Type-Writer No.2」で、5分間の口述タイピングがおこなわれることになりました。ただし、レミントンにおける経験の差を考慮して、トローブには10%のハンディキャップが与えられました。マッガリンは別室に下がり、マクレインの読み上げで、トローブが先に口述タイピングをおこないました。結果は434ワードで、毎分平均86.8ワードでした。次に、マッガリンが全く同じ口述タイピングをおこない、結果は447ワードで、毎分平均89.4ワードでした。10%のハンディキャップを含めると、トローブの勝利です。半年前に「Caligraph No.2」で敗退したトローブが、たった半年「Remington Standard Type-Writer No.2」を使っただけで、今度は勝利してしまったのです。
ただし、トローブの勝利には、実はウラがありました。一つはマクレインの読み上げです。口述タイピングのスピードは、読み上げをおこなう者にかなり左右されるのです。先攻がトローブで、10%のハンディキャップ付きというのも、妙に作為的です。マクレインにその気があれば、トローブのスピードを見てから、ほんの少し速くマッガリンに口述すればいいのです。その結果、マッガリンは敗退しますが、それは10%のハンディキャップによるものですから、マッガリンの名声は傷つきません。さらにもう一つ、トローブは434ワード中、166ワードもの打ち間違いがありました。対するマッガリンは、447ワード中、打ち間違いはわずかに1つだけでした。つまり、打ち間違いを差し引いたならば、トローブが268ワードに対し、マッガリンが446ワードで、現実にはマッガリンの圧倒的勝利だったのです。
しかし、ホプキンス・ホールの聴衆には、そのことは全く伝えられませんでした。「Caligraph No.2」を捨てて「Remington Standard Type-Writer No.2」に乗り換えたトローブは、たった半年でマッガリンに匹敵するタイピストとなった、ということを示すのが、マクレインと、そしてマッガリンの狙いだったのです。
(フランク・エドワード・マッガリン(10)に続く)