学生にとっても,教員にとっても,辞書を買おうとする時に最も気になることが,「どれぐらいたくさんの語が収録されているか」ということなのではないでしょうか。さすがに,「語数が一番多い辞書を買いなさい」などと言って,高校新入生に『グランドコンサイス英和辞典』などの一般英和辞典をすすめるようなことは最近はないと思いますが,同じ学習辞典であれば,少しでも語数の多い辞書を買わせたいと考える先生方は少なからずいらっしゃるようです。大学新入生を見ていても,英語が苦手な学生が,高校入学時に指定されたと言って『ウィズダム英和辞典』などの上級学習英和辞典を苦労して引いていたり,多くの電子辞書に収録されている,数十万語を収録した学習大英和を背伸びして使っている学生がかなりいます。
近年は,ネット掲示板などで「高校初級レベルの学習英和辞典では,センター試験や各種の資格試験には対応できないので,大学進学をめざすのであれば,上級学習辞典を使うべきだ」と言った風評も散見されます。たしかに,三省堂の学習辞書の場合,高校初級向けの『ビーコン英和辞典』の見出し語数が約47,300,上級向けの『ウィズダム英和辞典』が約90,000と,同じ学習辞典でも約2倍近い開きがあり,数値だけで見れば,収録語数の差は歴然としているように見えます。大辞典クラスの辞書が電子辞書に搭載される現在では,上級レベルの学習英和辞典でさえ,「難関大学の入試には対応できない」などと批判されかねない状況です。
しかし,実際にそのようなことがあり得るのでしょうか? 客観的な検証をするために,ビーコン,グランドセンチュリー,ウィズダムの全見出し語一覧をデータベース化し,手元にあるセンター試験長文(2000年度~2006年度までの本試験・追試験の大問4~6の本文)と英検長文(2004年度第3回~2007年度第3回までの1級~準2級の長文本文)のコーパスと突き合わせ,辞書ごと,試験種別ごとのカバー率を算出してみました。
算出にあたっては,長文問題本文の単語すべて(固有名詞,専門用語等も含む)を分析対象とし,変化形をすべて原形に置き換え(レマ化)た上で,各長文問題の出現語リストを作成しました。このリストと辞書ごとの見出し語一覧をコーパス分析ソフトで照合し,合致する語の割合を示したものがカバー率になります。たとえば,ある辞書のカバー率が100%であれば,長文問題に出てくる語のすべてがその辞書の見出し語に出ていることになります。
結果は,次の表の通りです。
辞書執筆に携わる者として,収録語数に関わる様々な風評は,以前から眉唾だと感じてきましたが,この表を見ると,私の想像以上にカバー率が高いことに驚かされます。
収録語数が最も少ない『ビーコン英和辞典』でさえ,実際には,センター試験は言うまでもなく,英語母語話者でも手強い難語が出題されることで有名な英検1級の長文問題でも,カバー率は8割を優に超えています。高校生の多くが受験する英検2級やセンター試験レベルなら,どの辞書でも9割以上のカバー率をマークしており,収録語数に関しては,辞書間の格差はほとんどないことがうかがえます。
もっとも,カバー率にそれほど差がなくても,『ウィズダム英和辞典』をはじめとした上級レベルの学習辞典には,詳細な文法,語法解説や,用法上の様々なラベルなど,より詳しい情報が盛り込まれています。そのため,高校入学時に『ビーコン英和辞典』で基礎を身につけ,英語が得意になった生徒が,大学受験を前に『ウィズダム英和辞典』に買い替えるということはごく自然なことですし,無理に背伸びをすることなく,常に自分の実力にぴったり合った辞書を信頼して使うということは,英語学習を効率よく進める上でも重要なことでしょう。収録語数の数字で辞書の優劣を判断するのではなく,どの辞書でも高校の教科書は言うまでもなく,難関大学を含めた受験にも対応していることを生徒に理解させ,自分のレベルにあった辞書を自信を持って使わせたいものです。
次回は,今回の分析をもとに,辞書の頻度・重要度表示(星印)とカバー率の検証を行いたい,高校生の大きな関心事である,「このレベルの試験を受けるには,辞書のどの単語を覚えるといいか」ということに迫ってみたいと思います。