専門関係の国際学会に顔を出しているうちに、面白いことに気がついた。アジア各国や東欧の同僚のなかに、日本のドイツ語辞書に高い関心をもっている人が意外に多いということである。去年もワルシャワの学会で初対面のポーランド人のドイツ語学者から、日本の独和辞典の学習辞典とは思えない学問的正確さ、という言葉を聞いてびっくりした。話を聞いてみると、その人は趣味で日本語も学習しており、つてをたよって手に入れた各種の独和辞典を愛用しているらしい。ソウルで開かれた別の学会では、独韓辞典の編集に携わっているゲルマニストから、独和辞典を「手本としている」という言葉を聞いた。外交辞令とおぼしき部分を差し引いても、日本における外国語辞書編纂の歴史は、外国の同僚に随分興味深く見られているようだ。もっとも調子に乗るのは禁物。あるとき、私も編集に関わった辞書です、といって『クラウン独和辞典』の最新版を見せたところ、お前はドイツのどの大学でLexikografieを学んだのかと真顔で質問され、大いに狼狽した。私のようなドイツ文学・文化の研究者=非専門家が辞書編纂にどうして関われるのか、話し相手のインド人ゲルマニストには納得し難かったようだ。
この8月、金沢市でアジア・ゲルマニスト会議が開催される。中・韓・日の独文学会が持ち回りで三年ごとに開催するこの会議の実行委員長を引き受けることになって、外国からの参加者に日本の辞書出版の水準や多様さを知ってもらうチャンス到来と思うようになった。『クラウン独和』をはじめとするドイツ語辞書を実際に手にとって、私たちの外国語辞書文化の厚みを実感してもらえるような企画が立てられないものか、目下思案している。これがきっかけとなって、独和辞典の韓国語訳、中国語訳などを出版してもらえることにならないか、などとあらぬ妄想を膨らませながら…。