「百学連環」冒頭二つの文を読みました。わずか2行にも満たない文章ですが、その裏側には千年単位の言葉のリレーとその来歴が折り畳まれている次第が見えたと思います。
私たちはいま、明治期に書かれた文書を読んでいます。しかし単に明治の文書を読んでいるのではありません。私たちは、同時に、それを成り立たせている近代西洋の知、その近代西洋の知の源にある古典ギリシア・ローマの知、そして漢語という中国の知とが、西周という一人の知識人の脳裏で結びあわされて、日本語として述べられるという事態に立ち会っているのです。
このことを、「100年以上も昔の話だろう」といって済ませるわけにもいきません。なぜなら、私たちはいまもって西先生たちが西洋の言葉を日本語に移入するために造りだした数々の言葉を使い、考えを表現しているからです。
そう思うと、漢文の素養もなければ、外国語もからっきしの私のようなものが(どうかすると日本語も怪しい……)、「百学連環」を読もうということ自体、一種の蛮行であるかもしれません。読者諸賢におかれましては、ここでの読み解きの試みをご覧いただきながら、いまの私が見落としているであろうことを、さまざまに補完しながらお読みいただけたら幸いです。
さて、気を取り直して続きを読んで参ります。まずは原文を掲げましょう。
從來西洋法律等の學に於ては、總て口訣を以て教授なすと雖も、此Encyclopediaなるものを以て口授するの教あることなし。
(「百學連環」第1段落第3文)
現代語に訳せばこうなるでしょうか。
従来、西洋の法律学などでは、すべて口伝えで教えるものだけれど、このEncyclopediaというものをそんなふうに直接口で言って教えることはない。
「口訣」とは、昨今あまり見かけない表現ですが、「文書に記さないで、口で直接言い伝える秘訣」(『日本国語大辞典』)、奥義を秘伝するといった意味があります。法学などは口伝えで教えるけれども、Encyclopedia(百學連環)はそうではないというわけです。裏を返せば、Encyclopediaは、書かれた言葉として伝えられるということでしょうか。
特に「法律等の學」と、法学を代表例に選んでいるところも気になります。そういえば、西周は、この「百學連環」講義に先立つ1862年(文久2年)に、幕命を受けて津田真道とともにオランダに留学したのでした。留学先では、ライデン大学の教授シモン・フィッセリング(Simon Vissering、1818-1888)の教えを受けて、帰国後に講義の筆記録を「和解」、つまり翻訳しています。
そのとき西先生が訳したのは、『萬國公法』(Volkenregt)、現代の言い方では「国際法」あるいは「国際公法」となるでしょうか。この文書は『西周全集』の第二巻にも収録されています。その『萬國公法』に対して西先生がつけた「凡例」冒頭にこんな一文が見えます。
此書ノ原文ハ、吾カ師ナル荷蘭陀ノ國來丁府ノ大學ニテ博士ノ職ナル畢酒林氏ノ口ツカラ授ケラレタルヲ、余等親ニカノ石墨モテ書キトレルモノニソアリヌル
文中「畢酒林」がフィセリングの名前です。要するに、「フィセリング先生の口から授けられたことを書き留めた」と言っています。つまるところ、先に見た「從來西洋法律等の學に於ては、總て口訣を以て教授なすと雖も」とは、自らの留学体験に基づくことでもあったのです。そして今度は、自分が「百學連環」の講義を、学生たちに口授しているというわけです。