「本気」による当て字は、常用漢字表が改定された今日においても、発展を続けている。「本気」に「ガチ」とルビを付け、手紙に書く女子も現れたという。「ガチ」自体は古くからあった相撲用語の「ガチンコ」つまり真剣勝負の略とされる語で、近年、テレビで芸能人たちなどから耳にする頻度が急に上がった語だ。先日も、移動中、都区内のマクドナルドで昼食を済ませていた時に、男子中高生が「ガチで? あとはマジ、ヤバイぜ」などと会話で使っているのが耳に入った。「ガチ」には「真剣」や「真面目」も当てられることがあり、使い古されてきた「マジ」という語に取って代わるほどになってきた。
マジという語の威力が、使われ続け、広まっていく中で次第に弱まってきた結果のようだ。ただ、棲み分けもあるらしい。ある区内の小学6年生曰く:「ガチは本気でって意味で、マジは本当にって意味。漫画とかで、本気と書いてマジっていうのは間違っている。意味からして分かるじゃん」。友達同士では、小学生でも会話でこうした語を使っていて、世上の表記にも目が行っているのだ。この表記は、上記のように別のルビを代入することで、個々に思いつく読みのようであり、今後の動向が気になるものである。
しかし、まだまだ「まじ」は根強い。この前、世間を騒がせた、ゲームソフトをコピーする「マジコン」には、早速、「本気コン」という当て字がWEB上で出現した。ほかにも、アーモンドと砂糖でできた「マジパン」(marzipan) には「本気パン」が生じているように、当て字がさらに別の当て字を生む結果となっている。
「本気」と当てられた漢字のために「マジ」という語のイメージが高まる一方で、「本気」のニュアンスが軽くなってしまった、と感じる学生もおり、表記が語義さえも変えてしまう可能性を示唆する。
「まじ」には、「本気」に似ている「本当」も当てられることがある。書名(吉川潮『芸人奇行録 本当(マジ ルビ)か冗談(シャレ ルビ)か』 1988)が古めの例である。「本当」と書く「まじ」については、小さい頃に聞いた、何かの本で見た、自分で思い浮かんだ、と述べる学生があり、ニュアンスが合っている、とも評される。通語に由来する、芸人の世界で伝えられていた用語であったことがここからも分かるであろう。
「まじ」を「真面目」の「真面」までで書き表した歌詞もある。作詞家の阿木燿子が水谷豊に提供した歌詞(1977)に見える。これは、ご本人にうかがったところでは、オリジナルのようだ。歌詞で漢字に限らず表記にやはり独自の冴えを見せる桑田佳祐も、これを複数用いた。WEBでも使われており、個別に思いつきやすいものでもあるのだろう。
前引の『江戸時代語辞典』でも、「まじ」という項目の見出しをこの2字で表記している。さらに『言泉』(1930)は、近世の為永春水の人情本『春色梅暦』(春色梅児誉美などとも。しゅんしょくうめごよみ)を引く際に、しゃあしゃあという意味ながら「まじまじ」という語を「真面真面」と書いていた。版本(後編九齣)では、荒いセリフながらもどこか粋も感じられてしまう会話文の中で、「まじ\/」と記す箇所であり、『日本国語大辞典』第2版はその用例文を「まじまじ」とする。『言泉』の編者である落合直文は、真面目(まじめ)の「まじ」を「まじまじとする義」と解している。現在では、WEBなどで「真面目(まじ)」や「真面目(マジ)」という表記も散見される。
「本気」などに次いで、「まじ」には「真剣」という漢字も当てられるようになる。既存の表記に対抗しているのか、細かなニュアンスを書き分けようとする方向は、同訓異字のなかに見出すことができる日本の一般的な傾向だ。「真事(まこと・まじ)」の「真」という意識も関わっていようか。まじめを「真剣目」と書く学生も、あながちふざけてのことではなかったのかもしれない。
これらは、江戸時代以来の語義が次々に漢字となって表面化してきたのだ。「まじ」には「まじめ」の語義とのズレが指摘されることがあり、私もそのように感じたものだが、それは表記以前にもっていたどこか不良っぽい語感と、語義が拡大、変化したためだったのだ。