漢字の現在

第74回 「真剣(マジ)」、そして「馬路」へ

筆者:
2010年12月7日

「マジ」という語に「真面」という漢字表記が用いられたという話(前回)で触れさせて頂いた、作詞家の阿木燿子さんから、先日上梓したささやかな『当て字・当て読み 漢字表現辞典』に対して、推薦のおことばを頂く機会に恵まれた。

数々のヒット曲を世に送られてきた阿木さんには、NHK番組での取材でお目に掛かる前から、画面に溢れる落ち着いた優雅な仕草と、気品ある美しい表情を陶然と拝していた。この辞典の苦しい編纂過程にあった酷暑の夏の日に、実際にお会いできた時には、さらに上品なお淑やかさと、時折お示しになるきっぱりとした厳しさが、さらに人を惹きつけるものであると知った(後に引退後の山口百恵によっても、同様の記述がなされていることに気付くことになる)。

その先駆的な「真面」や 「本気」を経て生じた、前回から扱っている「マジ」に「真剣」を当てる表記は、1997年の歌詞に現れる例が古めである。それを歌ったKinKi Kidsが主演したテレビドラマでも「真剣と書いてマジと読む」というような台詞になっていたそうだ。この表記は、今でもゲームや漫画、WEB に登場する。さらに、この2字で「ほんき」と読ませる曲名も出現していた(1989)。『特攻の拓』といった「不良」が描かれた漫画でもこのたぐいを見た。

小学校で男の若い先生が、「まじ」には「本気」「真剣」という3つの書き方があると言っていた、と男子学生が話してくれた。その学生は当時、単語の意味からすると「真剣」がいちばんしっくりきたと言う。印刷所から『当て字・当て読み 漢字表現辞典』を届けてもらった昨日まで、辞典と名の付く本で、それを載せたものはなかったかも、と言うと、目を爛(ラン)とさせてくれた。

ラーメン店には、「真風」で「まじ」と読ませるものが吉祥寺にある。沖縄の方言の「南風 (ふぇーかじ)」をふまえているかのようにも見えるが、大きな国語辞書には「まぜ」という西風などを表す語のことととして、この「真風」(まじ)が載っている。「真剣(マジ)」を踏まえるところがあったのだろうか。

「まじ」には、「情熱」の2字熟語を当てる歌詞も現れた(1986)。これは、決して広がることはなかったが、その作品の中でキラリと光るものがあれば、それはそれで十分なのであろう。

そして、電子情報機器が爆発的に普及した時代を迎えてから、「マジ」にも新たな変化が生じた。パソコンでは、「まじ」と打つと、若者が求める上記のいくつもの漢字は候補としてなかなか挙げてはくれない。漢字表記としては、「馬路」というものだけが出る仮名漢字変換ソフトがたくさんある。ケータイも同様だった。

この2字熟語は中国語では、大通りを意味する語だが、むろん中国語とは直接の関連はない。この表記が何であるのか、次回に解き明かしたい。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究により、2007年度金田一京助博士記念賞に輝いた笹原宏之先生から、「漢字の現在」について写真などをまじえてご紹介いただきます。


ついに『当て字・当て読み 漢字表現辞典』が刊行されました! その奥深さを、ほんのちょっと教えていただきたいと編集部がリクエストし、今回、笹原先生に「漢字の現在」の特別編としてご執筆いただくこととなりました。まさに“漢字の現在”を映し出す『当て字・当て読み 漢字表現辞典』について、数回にわたって、その内容のご紹介や本文におさめきれなかった情報をつづっていただきます。