1888年8月13日、オール女史は、カナダのトロントで、カナダ速記協会の第7回年次大会に参加していました。この大会では、4つのメダルを賭けて、タイプライターコンテストがおこなわれることになっていたからです。タイプライターコンテストの参加者は、男性5名と女性5名の合計10名で、うち5名が「Remington Standard Type-Writer No.2」を、残りの5名が「Caligraph No.2」を使用していました。
コンテストの最初の競技は、手書き文書の清書でした。ビジネスレターを5分間、裁判の証言録を5分間、それぞれ清書するもので、優勝者には金メダルが、準優勝者には銀メダルが授与されることになっていました。この競技の結果は以下のとおり([R]と[C]は使用機の頭文字を表します)。
ビジネスレター | 裁判の証言録 | 合計 | |
---|---|---|---|
オール女史[R] | 2451ポイント | 2484ポイント | 4935ポイント |
マッガリン[R] | 2401ポイント | 2355.5ポイント | 4756.5ポイント |
オズボーン[C] | 2320ポイント | 2357ポイント | 4677ポイント |
グラント夫人[R] | 2219ポイント | 2242.5ポイント | 4461.5ポイント |
マクブライド[C] | 2141ポイント | 2173.5ポイント | 4314.5ポイント |
マクマナス女史[C] | 2091ポイント | 2098.5ポイント | 4189.5ポイント |
ヘンダーソン夫人[C] | 1907ポイント | 2071.5ポイント | 3978.5ポイント |
ベリー女史[R] | 1908ポイント | 2018ポイント | 3926ポイント |
スナイダー[R] | 1673ポイント | 1771.5ポイント | 3444.5ポイント |
ニコラス[C] | 遅刻のため記録なし |
金メダルはオール女史が、銀メダルはマッガリンが獲得しました。オール女史は、メトロポリタン速記協会での雪辱を、見事このトロントで果たしたのです。
2つ目の競技は「This is a song to fill thee with delight.」を繰り返し叩いて、そのスピードを競うもので、優勝者には銀メダルが授与されることになっていました。結果は、オズボーン(Thomas W. Osborne)が630.7ポイントを叩いて優勝、銀メダルを獲得しました。3つ目の競技は、カーボン紙をはさんだ15枚の紙に同時にタイピングするという競技で、ヘンダーソン夫人(Mrs. A. J. Henderson)が優勝し、銀メダルを獲得しました。
この結果に満足したウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社は、オール女史と契約を結んで、レミントン・タイプライターの広告を打ち始めました。世界一を決めるタイプライターコンテストで、レミントン・タイプライターが金メダルと銀メダルの両方を獲得した、という宣伝を、雑誌や新聞でおこなうことにしたのです。
(メアリー・オール(4)に続く)