漢字の現在

第253回 群馬の漢字

筆者:
2013年1月11日

群馬県内には、「南蛇井」と書いて「なんじゃい」と読ませる駅があり、老人が応答しているようで珍しい駅名としてしばしば話題になる。東日本に属する当地では、生粋の方言をしゃべる男性が年をとっても、「なんじゃい?」と言うことはなかろう。「なんじゃい」は漫画などに顕著ないわゆる役割語のような話し方であって、昔はこの地でこの地名はちっともおかしい響きとは思われなかったことだろう。

また、埼京線を経て、新幹線で本庄早稲田駅へ。エスカレーターの左側には「非常停止釦」、右側には「非常停止ボタン」。分かれているのは、貼った年代の違いによるだけだろうか。ルビのような効果も出しているかもしれない。

隣県での集中講義が先に入ってしまっていたために、毎年呼んでくださっている中学校の授業を開けなくなった。残念に思っていたところ、日を改めて逆に群馬へと伺わせてもらえることになったのは幸いだった。

道路標識には、「大間々」とある。この崖の意とされる「ママ」は当て字をされ、地名となって方言が化石化して残っている。一方、埼玉の所沢では、「ハケ」は、今でも日常会話で使う人もおいでである。

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地平に広がる赤木山麓は、曇っていて見えないが、颪は空っ風となってよく吹くそうだ。この「颪」という読みのヒントと語義が搭載された国字を、こちらの中学2年生が読めるかどうか、話の中に取り入れればよかった。後悔しても始まらないので、次回はきっと尋ねてみよう。都内の大学生では、阪神ファンと漢字好きとこの辺りの出身者がよく読める。

伊勢崎は、熊谷と並んで夏暑いところだ。今日までは残暑が続くそうだ。そういえば盛夏の熊谷駅で、電車を待つ間の熱さはすさまじかった。慣れた人は扇子を持ち歩いていて自然に扇いでいた。

伊勢崎出身の先生は、「いせさき」と「いっさき」の中間のような発音をされた。さすが言い慣れている。アクセントも専門家アクセントのように、平板になっている。他の地方の人はよく「いせざき」と濁って読む。私など、横浜の「伊勢佐木町(いせざきちょう)」との区別がなかなか付かなかったくらいだ。

中学や高校は、私の時代から見ると、どこも明るくなった。ただ校長室という空間は、まだ得意ではない。

「躾」という字について尋ねてみる。リラックスしてくれていたためか、読み方がたくさん現れた。中学卒業まで、国語の新出漢字としては習わないので、無理もない。中国語では、該当する単語がないそうで、訳すと「教育」「礼儀」などにしかならないことが江戸時代から知られていた。日本人が必要とする語に、実感にあった国字がいくつも造られ、淘汰されて残ったはずのものだった。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。