タイプライターに魅せられた男たち・第69回

谷村貞治(9)

筆者:
2013年1月24日

年間1000台の遠隔タイプライター生産に明け暮れながらも、谷村は次の一手を考えていました。今は新興製作所が大きくリードしているものの、他社もいずれは、工場を復旧して追いすがって来るでしょう。その日までに、新たな技術の開発で、他社を引き離しておく必要がある、と考えていたのです。この時、新興製作所が生産していたのは「和文印刷電信機」で、カタカナと数字しか送受信できませんでした。谷村は、これに、アルファベットを追加することを考えていたのです。GHQの進駐で、英文の電信需要は増大していました。しかし、「和文印刷電信機」はアルファベットを送受信できないので、英文電信には、米軍が持ち込んだ『テレタイプ』を使用していました。和文と英文で、別々の電信機を準備しなければいけないのは、どう考えても無駄です。これらを一つにした「和欧文印刷電信機」を作りたい、と谷村は考えていたのです。

「和文印刷電信機」は、+と-の電流を6つ組み合わせて1文字を表します。一方『テレタイプ』は、+と-の電流を5つ組み合わせて1文字を表します。したがって、谷村の考える「和欧文印刷電信機」は、信号のレベルでは、「和文印刷電信機」と『テレタイプ』の両方と互換性を取ることは不可能です。それでも谷村は、「和文印刷電信機」と完全互換で、かつ『テレタイプ』の上位互換であるような、信号パターンと、それに合わせたキー配列を、鳥海や小川と共に設計することにしました。たとえば、『テレタイプ』の「A」の信号は「++---」なので、これを「和欧文印刷電信機」の「-++---」にあたる「ル」と同じキーに割り当てれば、少なくとも鑽孔テープ上は同一視できるようになります。あるいは「B」の信号は「+--++」なので、「-+--++」の「ヲ」と同じキーに割り当てます。「C」の信号は「-+++-」なので、「--+++-」の「セ」と同じキーに割り当てます。このようにして、「和文印刷電信機」の各キーにアルファベットを追加していったところ、アルファベットは何とQWERTY配列に並んでしまいました。

「和欧文印刷電信機」のキー配列

「和欧文印刷電信機」のキー配列

もともとの「和文印刷電信機」が『テレタイプ』の改造品だったのですから、当然と言えば当然です。ただ、1つのキーで3種類の文字を打ち分ける、いわゆる「3段シフト」の遠隔タイプライターは、設計自体は可能なものの、実現はかなり困難です。それでも谷村は、「3段シフト」の遠隔タイプライターが、実現可能だと信じていました。「Corona Portable」など普通のタイプライターでは、もう30年以上前から「3段シフト」が実用化されているのです。遠隔タイプライターでも、やってやれないはずがありません。

谷村貞治(10)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。